小梅ブログ

自由気ままに更新していくブログ也。

愚痴をテーマに3000文字書けって言われたら超よゆー。むしろ足りない。

 

istart.hatenablog.com

 ⇈こちらの続きです

 

 

 

父からの生活費はストップしましたが、家賃光熱費は父が継続して負担してくれていました。

 

 

 

なので、ひとまず食費などに関しては女3人それぞれで出し合う事になりました。

 

私が負担するお金は、携帯代やその他諸々と食費も入れて月々1万円ちょっと。

ニートの私にとっては大きい金額です。

一応、物作りなどで小さな収入はありますが赤字の月も普通にあります。

不足分は貯金で賄っていますが、昨年の祖母の葬儀で帰省した際に、飛行機代に、喪服代、香典、宿代、そして祖母の初盆にも帰る事になったので、事件以前にすでにチケットを購入していました。

 

妹が多めに払ってくれたりもしたんですけど、それでも貯金をかなり使ってしまっていたんですね。

そこに関しては、祖母にお別れもちゃんとできたし行けて良かったなと思っているんですけど。

 

 

私は、女だけでそれぞれ食費を出し合おうとなった時

 

「これからは、私たちもそれぞれ食料は買って、それぞれ作るようにしよう。」

 

と、母と妹に提案しました。

その分の時間を、物作りやその他の事に使いたかったから。

ですが、母は言いました。

 

「あんたが、やりくり上手だからやって」

 

と。

そして、妹は言いました。

 

「お姉が作ってよ」

 

と。

それって不公平じゃね?

同じ額のお金出しあってんのに、なんで私だけがやらなきゃいけないの?

 

外で働いている人は、仕事している時間は家の事やらなくて良くて、家の中でお金稼ごうとしている人は、家の事を優先させなきゃいけないの?

 

結局、私が食費を徴収して管理する事になりました。

食事作りは私が作ったり、母が作ったり、出来合いの物だったり。

不満は一応2人には訴えましたが、壊れたロボットのように同じような事しか言わないので諦めました。

 

ブログを毎日更新していた時など、父のご飯作りから解放された事もあり、集中して書いていて気付くと辺りが真っ暗になっている事も多くありました。

ご飯はテキトーで良いやって感覚にもなっていたのでね。

 

たまにね仕事終わりの母から電話がかかってきてね。

 

「ご飯は?なんか作った?」

 

って聞かれるんです。

オーダー入ってて忙しくてご飯作れなかった時とかね、ブログ書いてて遅くなっちゃった時とか。

単純にダルい時もあったんですけど。

 

「作ってない」

 

って言うとね

 

「はぁ?!」

 

って言われるんですね。

まぁ、そんな時はね

 

「はぁ?って何なの?私が作るって決まってんの?」

 

って言うんですけど。

細かい事で申し訳ないですけど、麦茶とかもそうなの。

私は日中コーヒーばっか飲んでるのでね。

たまにお茶無い事に気付かなくて、沸かすのが追いつかなったりするわけですよ。

そんな時もね、私を責めるような口調でね

 

「お茶ないの?!」

 

って言ってくるんです。

なのでね、私は言いますよ

 

「私が沸かすって決まってんの?」

 

って。

そうすると、母は

 

「誰もそんな事言ってないじゃん」

 

と、キレ気味に言います。

そんな事言っていなくても、私にはそう聞こえるのです。

そう思ってなかったら、私に言ってくる必要ないですもん。

お茶無いのなんて、見りゃ分かんだろ以外の言葉がございませんもの。

おほほ。

 

洗濯物を取り込むのは、基本的に母の担当なんですね。

なので、母がいない時に洗濯物取り込むの忘れちゃったりするんです。

私、BAKAだからさ。

そうするとさ、帰ってきた母にキレ口調で言われるんです。

 

「洗濯物くらい入れてくれよ!!」

 

って。

 いや・・・はぁ・・・

この時間までパチンコ行ってた人が、よくそのテンションで言えるねー。

ははっ。

はははっ。

的なね。

 

 


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私がやらないのが相当気に食わないのか、母が洗い物とかする時は、ずーーーーーーーーーっとグチグチ文句言いながらやってるんですね。

 

何だおい?

喋り続けなきゃいけない呪いにでもかかってんのか?

おう?

 

ってくらい、ずっと。

最近の私はそれが苦痛過ぎて、起きている時の大半は耳にイヤホン突っ込んでます。

本当に本気で、凄く苦痛。

ちなみに、今は安室ちゃんを聴きながらブログを書いているお♡

 

そして母はね、妹には基本何もやらせません。

私は子供の頃から、散々こき使われてきたのに。

 

例えばね、母から洗濯物取り込んで!って頼まれたとします。

それで、私が他にやる事あったり頭痛かったり。

そんなんで、妹に頼んで!って言うとね

 

妹ちゃんは疲れてるから

妹ちゃんは明日も仕事だから

 

って言うんですぅぅぅwwwwwww

ウケるぅぅぅぅwwwwww

 

小柄な母は、高い所の物を取りたい時とか私を呼ぶんです。

100%私を呼ぶんです。

私は身長165センチですけど、妹は168センチなんすよ。

妹でも良くね?って。

おいっ!!!

妹でも良くねーか?!って。

 

作業している私と、ドラクエという名の冒険に旅立っている妹がいても、100%私に言ってくるんです。

おかしくね?

 

そんな感じでね。

甘甘に、激甘に育てられた妹。

 

みーーんーーなーー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モラハラ妹って言葉聞いた事あるかい? 

 

岩のようなメンタルになりてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

 

気付けば前回のブログから1週間以上経過している・・・

時が過ぎるのは本当に早い。

歳のせいか・・・

悲しみー。

 

 

昨日はなんだか、色んな事が重なり。

色んな感情が積もりに積もり。

すごーく辛くなってしまいました。

1日中メソメソメソメソ・・・

今朝、目がパンパンだったっつーの。

 

昨日は要らない物を捨てようと掃除をしていたんですね。

ずっと考え事をしながら掃除していて。

そしたら急に涙が溢れてきてしまい。

止まらなくなっちゃって。

凄く苦しくて。

どこかに吐き出したくなって、ツイートしたんですけど↓↓

 

 

f:id:Istart:20190208172102j:image

 

発作的に?突発的に?

ニホンゴムズカシイ・・・

 

まぁ、そんな感じで軽い気持ちでというか。

あまり深く考えずにツイートしてしまったんですけどね。

何だか、沢山励ましていただきまして。

皆のリプ読んでたら

 

涙とまんねえよ、春

 

みたいになっちゃって。

 


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さらには、コーヒーごちそうしていただいたりなんかしちゃってね。

イケメンかよって。

それで、せっかくコーヒーのギフトチケットをいただいたのでローソン行ってね。

コーヒー飲んでさ。

外の空気吸って、少しだけ落ち着きを取り戻しましたです。

ありがたみしか無い。

 

夜になってまたリプ読んでたら、涙腺崩壊からの今朝の目パンパン事件に繋がるんですけれども。

ありがたい涙でござんすよ。

それはね。

ありがたくて溢れ出た涙です。

 

涙くんさよならなんて言わねえよ、俺

 

です。はい。

 

え?

 

 

なんか、今あんまり気持ちに余裕がなくてね。

自己嫌悪もハンパないし。

仲良くしてくれてる方たちのね、ツイートとかブログとか。

見たいんですよ。

見に行きたいんですよ。

でもね、余裕がないの。

気にはかけているの。

凄く好きな方たちばかりだし。

見たいの。

でも、余裕が無いの。

 

落ち着いたらぜってー読むかんな。

ぜってーだぞ。

 

今は、そんな感じなんですけど。

せめて自分のブログは、ちゃんと書かないといけないと思っています。

気持ちの整理にも繋がるような気がするし。

 

そんな訳でね、今後もよろしくお願い申し上げたい。

 

今日はいつもの言葉は言わないから。

何回も言い過ぎて、うざがられてるかもしれないから。

だから言わない。

 

 

リプくださった方。

いいね押してくださった方。

RTしてくださった方。

コーヒーごちそうしてくださったイケメン。

気にかけてくださった皆様。

 

 

 

 

 

 

アリが10匹!!

 

本日のブログは大変既視感のある仕上がりになっていると思います。見る必要も価値も無いかもね。あはは~

おばんどす🌙.*·̩͙

小梅どす(「🔴・ω・)「🔴

 

 

今日はね、ブログ更新するつもりなかったんですけどね、なんとなく書こうかなーって。

今、外にいてね。

お昼なんですけど。

携帯で書いてます。

 

 

昨日の続きは書きません!!笑

 

 

なんかねー・・・

昨日のブログアップした後に、コメントだったりリプだったり、DMだったりで色んな声をかけていただきまして。

泣いちゃったんだー。笑

なんかここ最近、結構いろんな面で限界きてたから余計に。

 

 

なんかさ、皆会ったことも無い人なのに、どうしてこんなに優しくしてくれるんだろ?って。

今も涙出そうです。

私のブログずっと読んでくださってる方は、私が厚化粧だって事ご存知ですよね?

化粧して泣いたらハゲちゃうから。

我慢。我慢。

 

DMでもね、長文でね送っていただいて。

とても気持ちが伝わってきて。

嬉しくて。

ありがたくて。

私なんかの為にありがとう。って。

泣くよ。普通に。

世の中、優しい人、優しい大人も沢山いるんだねって。

私、こんな事前にも書きましたっけ?笑

昔の事とかは無駄に覚えてるのに、そういうのは秒で忘れるのでね。

重複していたら、ごめんなさいね。

 

 

それにね、名前は出せないんですけど。

Twitterでね。

とある、みかんさんって方と、とある三尺さんって方と、とあるlunaさんって方にね、ポルカやってみれば?

とか言われましてね。

 

ポルカうんぬんは、今はちょっと置いておいてさ。

 

私の為に、何か策は無いか?とか考えてくれたって事じゃないですか?

その気持ちがありがたくて。

誰かの事を考えるってさー・・・

ねぇ?

なんっとも思ってない人の事って、考えないじゃないですか?

少なくとも、私は考えません。

凄く嬉しいですよ。

泣けるくらい嬉しい。

 

 

コメントくれた方もですし、リプくださった方も。

そして、いつもブログ読んでくださってる方も。

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

 

ブログ始めて良かったなって。

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

あ、あと有料note購入してくださった方も、改めてありがとうございます。

 

 

 

あのさー。

分かってるんだって。

こんなしょっちゅう、感謝の押し売りみたいなさ。

うざいでしょ?

分かってんだよ。

でもさ皆の優しさに触れてさ、おセンチになる日だってあるんだよ。

涙がちょちょ切れる日だってあるんだよ。

 

なんか、こんな事も前に書いたっけ?笑

 

ボケボケでオワタだわ。

 

 

明日からは、本当に暫くブログ書けなくなると思います。

ツイッターのほうも、あまり出来なくなるかもしれません。

理由については、追々ブログのほうに書いていこうと思っています。

 

たいした事では無いんですけどね(笑)

来週には更新できると思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

 

人の悪口言う時ってなんでこんなにとめどなく言葉が溢れてくるんだろう?私って嫌な女。

 

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 ⇈こちらの続きです

 

 

父からの生活費食費がストップしました。

 

 

それまで、父の仕事の請求書などは私がずっと書いていました。

何年もそうしていました。

 

それぐらいしてくれよ。

 

そう言われ、していました。

父が小銭貯金していた通帳なども、父に頼まれ私が預かっていました。

父は片付けられない男で、なんでもすぐなくすのでね。

 

なので、請求書、小銭貯金の通帳、印鑑。

全て、父に返しました。

これからは、テメーで請求書書きやがれ!

そう思って返したのに、結局は兄が書いてあげていたので、めちゃくちゃ腹が立ちました。

くそ、くそ、くそ!!!

 

 

この事件があった月の月末頃。

 

父は仕事の事で用があり兄宅に行ったようなのですが、なんでか知らないけど手土産にケンタッキーを持って行ったそうです。

事件勃発のきっかけになった、忌まわしきケンタッキー。笑

 

父は分かっていないようなんですけど、女同士の繋がりって何でも筒抜けですから。

義姉であるモッチーと私の間は、話が全て筒抜けなんですよ。

父と私の間で事件があった事も、モッチーはもちろん知っています。

 

だけどモッチーは女優なのでね。笑

 

父が今女たちと揉めてるからって話をしたそうなんですけど、初めて聞いたようなリアクションをナチュラルに出来る人なんですね。

 

そして、父が帰った後にチクリの電話を私にしてくるのです。

 

それでモッチーに聞いた話によると、父は私達の事をかなり愚痴っていたそうで。

 

呼んだり、お茶頼んだりすると凄い嫌そうな顔して出てくる。

 

と。

 

 

ふっ。

ふふふっ。

 

こっちだって暇じゃないのに、1日に何回も何回も何回も何回も呼ばれてうんざりなのに。

なに?

私は自分の感情は押し殺して、愛想まで振りまいてなきゃいけないの?

 

なんでしょうか(^^)?

ってか?

なんなりとお申し付けください(^^)

ってか?

スマイル0円です(^^)♡

ってか?

 

そんなにスマイル欲しいんなら、ケンタッキーじゃなくてマック行ってこいよ。

 

 


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そして、あんな態度を取るのは母のせいだと。

育て方が悪いだのなんだの言っていたそうです。

まぁ、そこに関してはね。

私も母の育て方が正しかったとは思いませんよ。

 

でもね、父はほとんど子育てに参加してませんからね。

私達が幼い頃に、離婚してるんですから。

私は抱っこしてもらった記憶も無いです。

だからね、母をかばうわけでは無いですが

 

お前にそんな事言う資格あんのか?

 

って思っちゃうんですよね。

あとは、俺もいつまで働けるか分からないし、娘たちには自立して欲しいと。

そこは、父の言っている事が正しいと思う。

 

でもね、私が思うにこの発言はモッチーにたいしてのアピールなんですよ。

良い父親風に見せるための、アピールなんですよ。

本当に良い父親でそういう事を考えてたら、直接私達に言ってくれば良いと思うんですよね。

でも、そんな事一度も無い。

家族で何か話し合おうとかも、一度も無い。

 

 

 

自分、子育てのベテランっす!

押忍!!

 

みたいなね。

そんなアピールをよくモッチーにしてるんですよ。

甥っ子姪っ子の事とかの子育てにも、ドヤ顔であれこれ口出ししたりしてるんですよ。

 

モッチーはね、スルースキルが高いから笑って流してますけど、普通の女性だったらね義実家に遊びに行くのやめるレベルの事だと思うんですよね。

 

 

またまた話がそれてしまいましたが。

 

それでね、娘達に自立して欲しい。

だから生活費は渡さない。

それは、まぁ良い。

それが正しい事なのかもしれない。

 

でもね、じゃあ母は?

ってなるんですよ。

母に対しても生活費渡さないのおかしくね?って。

 

元々、もう働かなくて良いって言って母の事呼び寄せたんじゃないの?

 

なのに、母が働き始めたら生活費も少しずつ減らしたよね?

母がタバコ吸ってたら、俺の金でタバコ買いやがってって言って、台所に置いてあったライターとか全部盗んで自分の部屋に隠したよね?

 

自分の稼いだお金がそんなに惜しいんなら、1人で生きていけば良いじゃん。

 

なんで呼び寄せたんだろうね?

家政婦要員、性処理要員が欲しかったのかな?

王様扱いして欲しかったのかな?

思惑通りにいかなくて、残念だったな!!

 

少し前に父は私に言ってきました。

 

「結婚相手選ぶの失敗した」

 

と。

そんな事、娘に言う事か?

あたしゃ、どんな気持ちでそれ聞けば良いんだよ。

私は、こう答えておきました。

 

「そんなもん、お互いだろ」

 

父は、それを聞いて軽く怒っていましたけど。

自分が良い男、良い旦那、良い父親だとでも思ってんのか?

 

父は、無駄に自己評価が高いんですよね。

 

俺は綺麗好きだから

元ゴミ屋敷の住人。現汚部屋の住人

 

俺は料理も上手い

作ってるとこ見た事ない

 

俺は買い物上手

は?どこが?

 

お父さんみたいな良い男見つけろよ

唇縫い付けたろか

 

 

まぁ、イラつく事も多々ありつつではありましたけど、父の稼ぎが無いと生活できないわけですから。

もちろん感謝はしています。

母の連れ子である妹2号の事も、それなりに可愛がってくれましたし。

そこに関しては、本当に凄く感謝しています。

まぁ、もし妹にたいして虐待とかしやがったら、私と兄が黙ってませんでしたけどね。

 

そういう事もあり、ある程度の事には目を瞑って尽くしてきたつもりです。

 

でもね。

兄宅に行った時ね。

父はモッチーに言ったそうです。

 

思い知らせてやる

 

って。

そこからの、生活費食費ストップです。

こんなの、家族に使う言葉なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてね、この状態はね。

現在進行形で、今も続いているんだお♡

 

 

しんどい。めんどくさい。胃が痛い。

 

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 ⇈こちらの続きです。

 

 

すっかり奴隷体質になっていた私。

 

 

よくよく考えると、奴隷体質なのは子供の頃からなんですけど。

だけど、親のすねをかじっている状態だし仕方ない。

やって当たり前か。

 

そんな中ね、昨年のとある日。

その日は、父は夜の仕事だったのかな・・・?

母は仕事に行っていました。

仕事の中抜けで帰宅していた妹がいて、私がいました。

 

お昼頃になり、父がケンタッキーでも食べるか?と。

ケンタッキーのバーガーのセットを買ってきてくれました。

リビングで、3人でケンタッキーを食べていました。

暫くすると、父が言いました。

 

 

「小梅、お茶。」

 

 

私は、こういう風に言われるのが大っっっ嫌いです。

お茶!とか、醤油!とか、飯!とか。

本当に嫌い。

大っ嫌い。

 

今までも、父に何度か注意していました。

そして、この時も

 

「お茶が何?」

 

と、私は言いました。

いつもなら父は

 

「お茶ちょうだい。」

 

と言い直します。

だけど、この時は

 

「もう良い!いらない!」

 

と捨て台詞を吐いて、自室へと入りました。

ケンタッキーを買ってきてやったのに、私にそんな態度を取られて腹が立ったんでしょうね。

 

 


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父はいつもそうなんですね。

怒りのスイッチがどこにあるか分からないというか・・・

短気というか、なんというか・・・

そういう性格が故に兄の所の職人さんにも、あまり好かれてはいないようだし。

腫れものに触るようにしなきゃいけないというか。

 

そして、父は我が家の女たちの誰かとケンカすると・・・

まぁ、それはだいたい私か母なんですけど。

 

ケンカというか、何か父の気に入らない事を私か母が言うと、ぷいっと怒ってドアをバーンっと閉めたり、無言になったりそんな感じですよ。

それが数日続きます。

 

そして、そうなると私達女3人全員にたいしてそういう態度になります。

謎すぎる。

普通はムカついた相手にだけですよね?

本当、意味不明。

 

この、小梅、お茶事件の時もそうでした。

母が仕事から帰宅すると、父は自室から出てきて母に向かって唐突に言いました。

 

「もう、俺の飯は作らなくて良いから」

 

と。

ほとんどの飯作ってんの、私だけどなっ!!

 

 

母は、仕事から帰って来たばかりだし事情を知らないから、ぽかーんですよね。

 

なんだか、大ごとになってきたなー。と。

私のせいなのかな。

腹立たしさもありましたが、罪悪感もありました。

 

この日から、父は洗濯も自分でやるようになりました。

 

この時、月の初めのほうだったんですね。

で、その月の食費はすでに貰っていたので、一応作った方が良いのかな?と思い、事件の数日後、何事も無かったかのように普通にご飯を作り、いつものように父がお風呂から出てくるタイミングで、夕飯をテーブルの上に並べておきました。

 

お風呂から出てきた父はサッとリビングの電気を消し、出したご飯には手をつけず、自分の部屋に入っていきました。

 

 

 

 

もうぜってー作んねー

 

 

2度と作らねーからな!

 

 

 

そう、心に誓いました。

それから父は毎日、外食かコンビニ弁当などを食べているようでした。

洗濯も毎日自分でするようになりました。

だけど、なぜかお風呂だけは自分では絶対に溜めません。

くそったれ。

 

 

そして、事件後新しい月になりました。

毎月、だいたい早ければ月末。

遅くても月初めに、母は生活費を。

私は食費を、父から貰っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ですが、その月から父からのそれらのお金はストップしました。

1円も貰えなくなりました。

 

 

 

言葉にしなくても分かるだろ?言わなくても分かるだろ?とか言ってる人って本気でそう思ってるのかな?分かるわけねーじゃん。察してちゃんかよ。

 

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 ⇈昨日の続きです。

 ※今日のブログは若干荒れています。

読み返してみて悪口しか書いていない事に衝撃を受けました。

そういうのが嫌いな方は読まないほうが良いです。

まぁ、私のブログは8割が悪口なんですけど・・・。

 

 

昨日のブログで、父は自分では何もしない人だという事を書きましたが、あれだけでは無いんですね。

 

 

 

例えばね、家の中に家族全員いたとします。

私もいて、母もいて、妹も家の中にいます。

だけど、たいてい用がある時父は私を呼びます。

 

リビングから、私を呼びます。

 

部屋のドアを開けるとすぐリビングなのでね。

部屋のドアを開けて、なに?って言うと

 

お茶ちょうだい

 

だの

 

アイスちょうだい

 

だの

 

ラーメン作って

 

だの

 

腰マッサージして

 

だの

 

言われるわけです。

ほぼほぼ、私に言ってきます。

私は黙って従います。

あたしゃ、お前の嫁か?おう?

 

アイスに限ってはね、父の方が冷蔵庫に近いからね。

リビングの父の座っている位置から、冷蔵庫まで2歩とかだからね。

それでも私を呼ぶんです。

私は黙って冷蔵庫からアイスを取って、父に差し出すのです。

 

それで、父はフルーツが好きなんですよ。

なので、ちょいちょいフルーツを自分で買ってくるんです。

ぶどうとか、梨とか、桃とか、パイナップルとか、スイカとか、いちごとかね。

女子かって。

OLの朝食かって。

 

それもほぼほぼ私がカットしたり、洗ったりするわけですよ。

まぁ、パイナップルだけは切るの好きだから良いですよ。

ちなみにパイナップルの切り方は、おもひでぽろぽろを見て覚えました。

クソどうでも良いですけど。

 

 

それでね部屋にいる時に呼ばれて

果物ちょうだい

って言われるのもイラッとするんですけどね、夕飯終わって大量の洗い物してる時に

 

「果物ちょうだい」

 

とか、お茶すすりながらのんきに言われるとね。

本気で虫唾が走るんですよ。

まずね、私は洗い物してるんだから母に言ってくれよ!と。

 

そしてまな板とか、包丁とか洗った後に言われるあの感じ。

こちとら、水切りカゴに綺麗に入るように計算しながら洗い物してますからね。

そして、そんな時でも父は待てない人ですからね。

 

まだかな~?

まだかな~?

 

みたいな感じでね、洗い物してる私のほうをすんげー見てくるんですよ。

わしゃ、学研のおばさんかって。

 

仕事して疲れてるってのは、分かってはいる。

分かってはいるんですけどね。

 

テメーで剥けねーんなら、みかんでも食ってろ!!!

 

って思うんですよね。

腹の中でね。

口には出さないですけどね。

 

 


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でね、昨日のブログにも父は空腹になると不機嫌になるタイプだって書いたんですけど。

父の仕事は、休みが不定期なんですね。

んで、私達が何か予定を立てている時に限って休みだったりするんです。

明日は買い物に行こう!とか言ってると父が休みになるから、そうすると父のお昼ご飯作らないといけないから止めよう。とか。

行けたとしても、夕飯作らないといけないから早く帰らなきゃ!とか。

 

あと、不思議なもので母が休みの日に限って父も休みな事が、非常に多い。

母は休みの時くらいゆっくり寝たいけど、父が休みだと早く起きなきゃいけない。

それでね、母はよく言うんです。

口癖のように言うんです。

 

「小梅ちゃんとお母さんは、苦労しなきゃいけないようになってんのよ」

 

って。

今まで、この言葉聞きすぎて何も思ってなかったし、何も感じて無かったんですけど。

最近になって思うんです。

 

ちょっ、待て待て待てーーい!

私がこれまでしてきた苦労の半分以上は、お前のせいだかんなっ!!!!

私を巻き込むな!!!!!!

 

ってね。

 

 

で、話それたんですけど。

父は急に休みになったりするんですけど。

翌日休みだって分かってても、父は何故か言わない事が多いんですね。

夜の現場の日も何も言わないんです。

朝起きると父がいるからね。

それで発覚するんですね。

おるでー。父おるでー。

つって。

別にね、ご飯食べないんならそれで良いですよ。

どうぞ、ご自由にってなもんですよ。

 

だけどさー。

ご飯は絶対食べる人なんだよ。

こちとらさー、ご飯とか計算して炊いてんだよ。

人が一人増えるとさ、ご飯足りないわけ。

慌てて炊かなきゃいけないわけ。

分かります?!

 

言えよって。

ただ一言、明日休みって言うだけじゃん。

言えよって!!!!!

そこはね、さすがに私も母もブチ切れて何度も言ったんですけどね。

ご飯炊かなきゃいけないから、休みの時は言ってね。って。

 

でも、ダメなんですね。

耳が無いのかな?

お口が無いのかな?

ってな!!!!

 

そんなこんなで、私はすっかり奴隷体質になっていたんですね。

それでね、去年の5月くらいだったかな・・・

事件が起きるんですね(大げさ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回に続きます。

 

 

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独断と偏見ですが。。。料理好きです♡得意料理はハンバーグ、ポテサラ、パスタです♡っていう女性を私は信用しない。料理好きです♡味噌自分で仕込んでます♡って女性はガチだろうな。

 

みなさま、お元気ですか?

 

私は、まぁ・・・普通です。笑

最近インフルエンザがとても流行っていますね。

ツイッターのほうでも、何人かインフルの方をお見かけしました。

お大事にしていただきたい。

 

私は昨年祖母の葬儀に行き、自宅に帰宅してすんごい寒気を感じたんですね。

最終便で帰ってきたので夜遅かったのですが、お風呂溜めて入ったんですけど全然寒気が取れなくて。

地元があまり寒くなかったので、こっちすんげー寒いじゃんって思いながら、ずーっと湯船に入っていたんですけど。

でもずーっと寒かったんですね。

 

それは気付いていなかっただけで、寒気というより悪寒だったんですね。

バカですね。

そうですね。

 

翌日に高熱が出て、病院行ったらインフルB型でした。

 

しんどいよね。インフルね。

気を付けましょましょ。

 

 

なんかねー。

一通りのブログをね、書き終わったわけですけど。

過去のね。

大きい出来事はね。

だけど、回収できてない話とかもあるな~って今さらながら気付きまして。

色々ありすぎて、どこから何から回収していけば良いのやら?

そんな風に思とります。

 

 

昨年は本当に色んな事がありまして。

それでブログも始めたわけなんですけど。

 

どこから書こうか・・・

 

なんというか、私はこれまでニートだという事もあり、家族にたいしての申し訳なさとかはもちろんあったわけです。

それで、家の事も極力やるようにはしていました。

できる範囲でですけどね。

基本、食費は毎月決まった額を父から私が貰って。

それで買い物をしてやりくりをして、献立も決め料理もしていました。

洗い物も基本私がやります。

洗濯も、母が仕事の時は私がやります。

母がやる時もありますよ。

 

 

それでね、ニートなんですけど前にもブログに書いた通り、手作りのとある物の販売も細々としているのでね、オーダーが入っている日は忙しいんですね。

結構時間もかかるし。

それでも、夕方になったら家の事を優先してご飯を作ったりしていた訳です。

 

母が作る日もあります。

だけど母が作るご飯って、野菜炒めか、丼ものか、揚げ物か、揚げ物か、揚げ物なんですね。

しかも、わりと味が濃い目で。

おかず1口で、ご飯1杯いけちゃうぞ♡

みたいな時とか。

逆に、おや?これはお湯かな?ってくらい薄味だったりとか。

もちろん、美味しい時もありますよ。

でもね妹がね、お姉が作ってと。

そんな風に言う訳です。

 だから、基本は私が作っていたんです。

 


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それで、そんな日々を過ごしていましてね。

これも以前ブログに書きましたが、父は自分では何もしない人なんですね。

 

オーダーが入っていて忙しい日でも、例えば父が休みの日には父の事を優先していたんですね。

朝は7時とかにご飯を出しましてね。

それでね、父はお昼12時きっかりになったらリビングに出てくるんですね。

 

なんだ?

お昼ご飯、待ちに待っとったんけ?

 

って言いたくなるくらい。

 

なんだ?

3日振りの食事なんけ?

 

ってくらい。

きっかりに部屋から出てくるんです。

ひどい時は5分前とかには、出てきている時もあります。

夕方は18時になったら出てくるんですけど(笑)

 

それで、たまに父の仕事が夜の時があるんです。

職人なのでね。

夜しか入れない現場とかあるんですよ。

例えば、病院とかね。

 

数か月ずーーっと夜の現場が入る時もあるんですね。

大きい現場の時とかね。

そうすると、私は父の食事を作る事にかなりの時間を使うわけです。

ご飯なんて作って終わりじゃないですからね。

使った調理器具も洗わないといけないし、食後は食器だって洗わないといけない。

 

それで、父は12時きっかりにご飯を食べるのですがね。

妹も仕事をしているんですけど職場が家のすぐ近くで、休憩の時は家に帰ってくるんですね。

で、朝ごはんもお昼ご飯も家で食べるわけです。

妹も、基本は何もしない人間なんですね。

だから、妹のお昼ご飯も私が作ります。

妹がお昼ご飯を食べるのは、13時半とかなわけです。

 

で、夜は妹は20時とかに帰ってくるので、それからご飯なんですね。

父は空腹になったら機嫌が悪くなるようなタイプの人間なので、妹の帰りを待ったりとかは絶対しないんですよ。

例えそれが家族の誰かの誕生日祝いとかでも、皆が揃うのが遅くなると不機嫌になるタイプなんですよ。

なので、そういう時は義姉と話しあって、父にだけ先に食べさせたりするんですよ。

 

でも、父は自分の誕生日の時だけは黙って待つんですね。

 

皆が揃って乾杯しないと★

 

とかほざくパーリーピーポーに変身するんですよ。

くそかよ。

 

 

それで、話それましたけど。

父が休みの日とか、夜の仕事の時とかはね

 

7時➡父の朝食

9時➡自分と妹の朝食

12時➡父の昼食

13時半➡自分と妹の昼食

18時➡父の夕飯

20時➡女3人の夕飯

 

分かります?この感じ。

ひどい時は1日に6回台所に立たないといけないわけです。

洗い物を入れたら、単純に計算すると12回台所に立たないといけないわけです。

これにプラスして、麦茶も沸かして作っておかないといけないので、一日の大半を台所で過ごしているような感覚なんですよ。

 

母が休みの時は、もちろんやってくれたりもするんですけど。

私は、オーダーが入ったりしていても、作業が佳境に入っていても、父や妹の事を優先してやっていたんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでね、もっと書きたい事が山のようにあるんだけど、長くなったので次回に続けます!

 

 

超どうでも良い事だけど私はベロア素材が嫌い。触ると息が苦しくなる

 

istart.hatenablog.com

 ⇈こちらの続きです。

 

 

 

お墓参りに行ってから、モッチーの状態はかなり良くなってきました。

 

 

 


子供達が夏休みの時、兄が夜の現場だったので私が兄宅に泊まりに行ったりもしました。

その時モッチーに軽くボディータッチはされましたが、笑って流せるレベルでした。

会話はあまりありませんでしたが、こちらが何か問いかけたりすればそれには普通に答えてくれるくらいにはなっていました。

 

この時は、まだ笑顔は少なかったように思います。

 

2012年秋。

姪っ子の小学校の運動会がありました。

毎年、モッチー、母、私は日焼け対策をしっかりしていました。

私は基本、日焼け止めベタ塗り。

母は長袖、帽子、日傘。

モッチーは、日焼け止め、帽子。

だったんですね。

それで、この年もモッチーは帽子を用意していました。

 

でも、それが何故かテンガロンハットみたいなやつで。

萩原流石かな?って。

兄も

「それ被って行くの?」

って聞いていたんですけど、モッチーは無表情で

「うん」

と答えていました。

 

下は、ジャージを着ていました。

ジャージにテンガロンハットです。

衝撃のダサさでした。

病気前のモッチーにだったら普通につっこんでいましたが、この時は何も言えずそのまま行きました。

 

 


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姪っ子の出番以外の時は各自用意したレジャーシート+テントを張った場所で待機するのですが、待機中もモッチーは基本無表情で無言でした。

ですが、ママ友が来て話しかけられたりすると普通に話していました。

運動会を見に来ていた、姪っ子甥っ子が通っていた幼稚園の先生にもちゃんと会釈をしたりしていました。

 

 

その後の、甥っ子の幼稚園の運動会も皆で見に行きました。

その前年の2011年の甥っ子の運動会の時、モッチーと2人で話していて彼女は頭が痛いと言っていました。

 

istart.hatenablog.com

 ⇈この時ですね

 

あの頭痛は病気の前兆だったのでしょう。

もう、あれから1年経ったのか。

あっという間の1年だった。

とても大変な1年だった。

一時期は本当にどうなることかと思ったけど、家族みんなよく頑張ったよね。

モッチーが一番頑張った。

生きていてくれて本当に良かった。

そう思いました。

 

 

その後モッチーは、2012年の冬あたりだったと思いますがNMDA脳炎の原因になった子宮にできた腫瘍を取り除く手術を受けました。

1週間程の入院だったと思います。

モッチーの腫瘍には髪の毛が絡んでいたそうです。

ネットで見たNMDA脳炎の症状と完全に一致していて、驚きました。

狂牛病とかほざいてた霊能者よ・・・

名前出したろか。

もう名前忘れたけど。

 

 

そして、2013年の春。

モッチーは甥っ子の卒園式、小学校入学式にも行く事が出来ました。

 

この辺りまでは私たちもサポートしていましたが、モッチーは日に日に良くなっていき私たちのお役目も終わりました。

 

たまに私に電話がかかってきて、家の掃除手伝ってーとか。

タンス買ったから、整理するの手伝ってーとか。

そんな事はあったんですけど。

それは元のモッチーに戻った証拠なのです(笑)

モッチーが退院してからは、私達はモッチーがご飯を食べてくれる事が嬉しくて

食べな食べな~

と、ガンガンに食べさせていました。

 

退院した時ガリガリに痩せ細っていたモッチーは、あっという間にぽちゃってしまい、2人で兄宅を掃除していた時も、モッチーは太ってしまった事を嘆いていました。

なので、私は

「良いじゃん。ご飯もちゃんと食べれて健康って事じゃん。」

と言いました。

本当にそう思ったし。

少し間をおいて、モッチーは答えました。

「・・・いや、太ってるんだから不健康でしょっ!!!」

「・・・たしかに」

「wwwwww」

 

とかね。

あと、モッチーは要らない服とかをくれるんですね。

ある時、モッチーが下着もくれて。

サテン生地みたいな?

ツルツルな生地のおパンティーを差し出してきて(笑)

これ一回も履いてないからつって。

「私、こういう生地キライなんだよねー」

なんて偉そうに言ったら、モッチーは

「うるせーっ。履け!!」

つって。

「新品なんだからモッチー履けば良いじゃん。もったいない」

つって。

「そういう生地キライなんだよね」

「なんだよそれwww」

「wwwwww」

 

なんてお互い言いたい事を言い合って笑いあえるようになりました。

 

 


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みなさん8年越しの花嫁という映画をご存知ですか? 

ja.wikipedia.org

 

私は、まだ観た事無いんですけど(笑)

これね、実話なんですね。

映画化される前にアンビリーバボーで取り上げられてたんですよ。

たまたま私はその回を見ていたんです。

それで、再現ドラマ?をやっていたんですけど。

話が進んでいくにつれ

なにこれ・・・

モッチーの症状と凄く似てる・・・

と思いながら見ていたら、この方もモッチーと同じNMDA脳炎だったので凄く驚きました。

しかも、この方は6年間も昏睡状態が続いていたそうです。

モッチーは意識が無かったのは数か月だったので、とてもラッキーだったんだなと。

そう思いました。

 

 

そして、昨年9月。

モッチーと、LINEでこんなやり取りをしました↓↓

 

 

f:id:Istart:20190115164722j:image

f:id:Istart:20190115164734j:image

 

 

モッチーは完全復活を果たしてくれました。

私にとって、モッチーはとても大切な義姉です。

大切な家族です。

 

今でも、たまにモッチーが生きててくれて良かったなーってしみじみ思う事があります。

姪っ子にも、ママ元気になって良かったねーって。

「また言ってるよ」

なんて言われるほど、何度も言いました(笑)

だって、本当にそう思うから。

健康ってありがたい。

 

 

 

そんな訳で、かなり長く続いてしまった

モッチー編はこれにて完結です。

 

今後も、モッチーは恐らく沢山出てくる事になると思います。

多分ね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

やっと書き終えれたーーー\(^o^)/笑

 

 

寒いと早く夏こないかなーって思うし暑いと早く冬こないかなーって思う

 

皆様、お久しぶりでございます。

2019年になりましたね。

本年もよろしくお願いいたします。

 

早いもので年が明けて8日も経ちましたね。

驚きの早さ・・・

 

ある人に言われました。

月日が経つのが早く感じるのは、歳だからだぜー!笑笑

つって。

全力のそれなです。

そして全力のうるせーです。

 

 

1週間以上もブログを書かずにいたので、このままダラダラ書かないと、多分1ヶ月とか平気で書かないだろうなと思ったので、今慌てて書いている。

そのような感じです。

モッチーの事に関する記憶とかね。

日に日に薄れていくわけですから。

歳なんですから。

こちとら。

ちっきしょー。

 

 

そんな訳で、続きを書いていこう!!

いってみよう!!

やってみよう!!

 

 

istart.hatenablog.com

 ⇈こちらの続きになります

 

 

 

2012年の夏。

 

 

 

モッチーが退院して、3ヶ月ほど経っていました。

あまり状況は変わっていませんでした。

兄夫婦に代わり、相変わらず甥っ子のお弁当も作っていたし、ドッジボール大会やプール見学にも私と母で行きました。

 

そして、甥っ子の幼稚園で夏祭りがありました。

 

その時も、私と母で行きました。

姪っ子には浴衣を着せ一緒に連れて行きました。

甥っ子は、ボールすくいを楽しそうにしていました。

幼稚園のお祭りなので、ボールすくいのポイはただの網。

破れません。

無限にスーパーボールをすくい続ける甥っ子。

器にこんもり溜まるスーパーボール。

 

おい。

おい。甥っ子よ。

ボールは1人3個までって先生言ってたぞ。

戻すんだ。おい。

 

そんなやり取りをしていました。

日が暮れてからは、盆踊りスタート。

年少さんのかわいさっていったら・・・

ちいせー。

あぁー。ちいせー。

かわええ。

たまらん。

年長さんの甥っ子ももちろん、かわええ。

踊ってる踊ってるぅー。

アンパンマン音頭とかね、踊っていました。

世界で一番かわいかったと言っても過言では無い。

うん。

 

 

最後は、小規模な花火があったんですけど。

その頃になって、兄とモッチーが来ました。

モッチーは少しの会話くらいなら出来るようになっていましたが、やはり表情は無表情。

まだ、モッチーでありモッチーではありませんでした。

 

今ふと思い出した。

モッチーは花火を見て、手を叩いて喜んでいたような気が・・・

それで、まわりの人が少し不思議そうな感じで見ていた気がします・・・

 

違ったかな?夢?笑

いや、でもそうだったと思います。

記憶が曖昧なんですけれども。

 

 


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そして、2012年8月。

子供達は夏休みに入っていました。

兄はモッチーのほうと、自分のほうのお墓参りに行く!!と言い出しました。

ご先祖様の力を借りたかったのだと思います。

 

まずは、モッチーのほうのお墓参りに行っていました。

子供達も一緒に行ったかは忘れましたが、モッチーのお母さんも一緒に行っていました。

この時の事についても色々と書きたい事はあるのですが、ここには書けない内容なので、そのうちnoteに書こうと思います。

 

 

そして、うちのほうのお墓参りにも。

うちのお墓は、私の大好きな祖母の家のすぐ近くにあります。

余談なんですけど、うちの祖母の家は超ド田舎なんですよ。

田舎ってレベルも超えてます。

山の中腹にあります。

さらにその上にお墓があるので、お墓までは軽い登山!

祖母の家は、五右衛門風呂だし、台所には釜戸があり土間。

ぼっとん便所だし、炭を入れるタイプの掘りごたつまであります。笑

 

 

あっ、また話がそれましたね。

 

それでね、その祖母の家まで。

つまり地元までね。

兄は車で帰ると。

すんなり行けても12時間はかかります。

 

おいおい、モッチーそんな状態で大丈夫かよ!?

と思ったのですが、兄は出発しました。

 

無事到着した兄家族を、祖母は喜んで迎え入れてくれました。

お墓参りも済ませ、兄達は祖母と買い物に行ったり温泉に行ったりしたそうです。

 

そして、無事帰ってきた兄家族。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議なもので、この頃から少しずつモッチーの状態が良くなっていきました。

 

 

たまには優雅にタピオカミルクティーでも飲みながらブログ書いちゃおうかしら?嘘だけど

 

 

 

 

 

 

モッチーの話の続きを読みにきてくださった方ごめんなさい。

本日は、続きは書きません。

すまん!!!

 

 

 

 

続きを書こうかとも思ったのですが、今日は大晦日

今年最後の日に、皆様にご挨拶をしておきたかったので、お時間のある方はご覧になって頂けると嬉しいです。

 

 

というか、こんな日に私のブログを読む方などいるのか?笑

更新休んでも気付かれない気がする。

みんな、ガキ使とか紅白とか観てるよね。

なんだか1年あっという間だなー。

 

今年の9月13日からブログを始め。

15日からツイッターを始め。

色んな方と出会う事が出来ました。

まだ3ヶ月ちょっとしか経っていないなんてビックリ。

なんだか、とても濃い3ヶ月を過ごす事が出来ました。

本当に、ブログとツイッターには救われました。

 

 

思い返すと、今年は本当に色んな事がありました。

その中でも、一番思い出に残っているのは2月!!

私の大好きな祖母に会いに行って来ました。

 

私の祖母は、凄く面白い人なんですよ。

今年会う前は、最後に会ったのが9年前のシルバーウィークの時だったんですけど。

その時ね、伯父の家にいて。

バルコニーみたいなところにテーブルセットが置いてあって。

私・祖母・妹でそこに座ってたんです。

それでね、私が祖母に

「ばあちゃーん。お茶飲む?」

って聞いたんです。

 

そしたら、祖母が飲むっていうので私は台所に行ってあったかいお茶を入れたんです。

それで、バルコニーにいる祖母の前に出して、その場を離れたんですね。

そこには、祖母と妹がいたわけですよ。

んで、後で妹に聞いたのですが、祖母は私が入れたお茶を一口飲もうとすすったそうです。

そして次の瞬間

 

 

熱くて飲めんっ!

 

 

と言って、お茶を庭にビシャーッと捨てたそうです(笑)

 

ばあちゃーん!!

冷ませば良くない?

 

 

その後、伯父の家の庭に成っていたミニトマトをつまみ食いしようとしていた祖母。

伯父が、それは農薬がかかってるから食べちゃダメ!って声をかけたんです。

そしたら、祖母は目にも留まらぬスピードで、トマトを地面に叩きつけるように捨てました。

ていっ!って。笑

 

誰かの飲み残しのビールの中身とかも、凄いスピードで庭に捨てたりするんですよ。

手首のスナップが凄いのかな?

 

 

そんな祖母は、料理が上手。

梅干しは手作り。

とってもしょっぱくて、とっても酸っぱい。

子供の頃は、ばあちゃんの梅干しをおやつ代わりに食べたり、緑茶に梅干しを溶かして飲むのが好きでした。

饅頭もよく作ってくれました。

みょうがの葉に包んだ饅頭。

香りが良くてとても美味しいです。

高菜漬けも手作り。

ばあちゃんが漬ける高菜漬けが一番美味しい。

蒟蒻も芋から作ります。

生姜醤油で食べます。

市販の蒟蒻とは食感が全く違います。

 

そして私は、祖母が作るきんぴらごぼうが世界で一番美味しいと思っています。

地元を離れてからは小梅が好きだからと言って、きんぴらごぼうを大量に送ってきてくれていました。

ささがきにするの大変だっただろうなと思います。

いくら、手首のスナップが凄くても。

あの量は大変に違いない。

なので、9年前祖母に教えて貰いました。

祖母が作っている所を、隣でずっと見ていました。

 

砂糖を入れる時、調味料入れに入っていた砂糖。

最初は付属のスプーンで投入していた祖母。

2~3杯入れた所で

あぁー!めんどかっ!!

※めんどくさいという意味です。

と言い、調味料入れからダイレクトに砂糖を投入。

 

うちのばあちゃんは、せっかちなのかな?笑

そんな風にワイルドに作ったきんぴらごぼうも、最高に美味しかった。

祖母の作るきんぴらは、地元にしか売ってない醤油を最後に少し入れないといけないのです。

なので、2月に帰った時にその醤油を買ってきました。

そして、自分でも久しぶりに作ってみました。

途中までは、祖母の味に近かったのですが、火を通しすぎて失敗しました。

まだまだ修行が足りません。

 

 

伯父の家のリビングでテレビを見ていた祖母。

テレビの中の女の人が、

「今回はこちらのフグをプレゼントしまーす」

と言っていました。

 

それを見ていた祖母は

 

「フグは恐ろしか~」

 

と一言。

 

ばあちゃん!

大丈夫!!

ばあちゃん貰えないから!!

 

うちのばあちゃん、かわいくな~い??笑

 

 

母が一人で帰省した時に、祖母がこれを小梅に渡してと母に持たせてくれた物があります。

それが、こちら↓↓

 

 

 

f:id:Istart:20181231014059j:image

 

 

フリッフリ♡

なんでだろ?

ばあちゃん、私にどんなイメージを持っているんだろう?

フリルとは真逆にいるような女なのに。

 

貰った瞬間に、母になんで?と聞いてしまいました(笑)

趣味では無いけど、10年ほど経った今でも大切に持っています。

 

 

 

 


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 9年前バイバイする前に、祖母を抱きしめました。

祖母はとても小さかったです。

私がデカいせいもあると思うんですけど(笑)

 

「また来るからね。元気でね」

 

そう言ってハグしました。

 

 

それが、祖母との最後でした。

 

 

今年の2月。

私の大好きな祖母は、天国に行きました。

3日後に90歳の誕生日を迎えるはずでした。

世間一般に言えば、大往生だったのかもしれません。

だけど、私はやっぱり悲しい。

とっても悲しかったです。

伯父や伯母、従兄弟たちも皆泣いていました。

みんな、ばあちゃんが大好きだったんです。

 

9年振りに会った祖母は、微笑んでいてとても綺麗な顔をしていました。

お人形さんのようでした。

 

今でも、祖母の事を想うと涙が出てきてしまいます。

 

きっと今頃、ばあちゃんは天国でじいちゃんと仲良くしてるんだろうなーって思います。

そうであって欲しいな。

 

 

 

 

そんなわけで、皆さん。

他にも書きたい事が沢山あったのですが・・・

わたくしは、現在喪中でございます!!

なので、新年のご挨拶は失礼させていただきます。

 

 

そして、本日で毎日更新は終了になります。

これまで、毎日読んでくださった方も、そうでない方も、とにかく今私のブログに目を通してくださっているアナタ。

ありがとう。

 

今後はこちらのブログかnoteにて、不定期で続けていく予定です。

どちらにしても、きちんとご報告します。

モッチーの話も途中までしか書けていませんからね(笑)

 

今年中に綺麗に書き終わりたかったんですけどね・・・

思いのほか長くなってしまって申し訳ないです。

もう少しだけお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

へっぽこブログですが、皆様来年もよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

 

 

もう少し・・・もう少し・・・でも今年中には終わらない。すまん。

 

 

 

 

 

モッチーが退院しました。

 

 

 

まだ正直、正常な状態ではなかったモッチー。

兄が献身的に介護?お世話?していました。

これは書くのを迷いましたが、モッチーはこの時まだ自力での排泄も無理な状態でした。

 

 

一緒に外食にも行ったりしましたが、やはりまだ無表情。

ただ黙々とご飯を食べていました。

家族みんな、ただモッチーがそこにいてくれるだけで、ご飯を食べてくれるだけで嬉しかったです。

 

 

 

モッチーは、私たちを兄の浮気相手のように思っていたのか?

※ちなみに兄は浮気するタイプの男ではありません。

相変わらず怒る事がありました。

言葉にはしませんが、地団駄を踏んで怒るような仕草をするのです。

 

なので、私と母はモッチーの前には姿を見せないようにしました。

 

車に乗っている時は割と機嫌の良いモッチーを、兄が子供達と一緒にドライブや買い物に連れだします。

 

 

その間に、私と母は兄宅に不法侵入。

そして、掃除、洗い物、洗濯をします。

必要に応じて、お布団を干します。

夕飯を作り、食べられる状態にしておきます。

 

兄宅はマンション。

リビングからちょうど駐車場が見えるので、兄達が帰ってきたのを見つけたら、ギリギリまで洗い物などをして玄関から出て鍵を閉めます。

そしてマンションの階段に身を潜め、兄達が家の中に入ったのを確認してからコソコソと帰っていました。

兄達が入るのを確認していたのは、エレベーターで鉢合わせにならないように。

 

 

モッチーはたまに兄の事も分からなくなる事があったようで、駐車場で兄に向かって

 

 

人殺しーー

 

 

などと叫び、近所の方に警察を呼ばれた事もありました。

 

 

モッチーでありモッチーではありません。

 

兄が仕事の時、モッチーのお母さんと私の母でモッチーを病院に検診に連れて行きました。

待合室でモッチーはずっと母の胸を触っていたそうです。

この頃は、少し話せるようにもなっていた気がします。

 

 

 

 


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兄が夜の現場に行かなければいけない時、子供たちとモッチーだけでは置いておけないので、私と母で兄宅へ行きました。

 

私が洗い物をしていると、モッチーは背後から私の胸を触ってきました。

モッチーのようでモッチーでない。

強く拒否すると機嫌が悪くなってしまうかもしれない。

なんともいえない恐怖感がありました。

 

 

結構遅い時間だったと思いますが、モッチーがドンキに行きたいと言い出しました。

頭ごなしにダメだというと、怒ってしまうので

 

もう遅いから、明日で良いんじゃない?

 

などと言いましたが、怒りだしそうだったので子供たちも連れドンキに行きました。

 

 

ドンキに行っても、何か買うわけでもなくモッチーは行った事で満足したのか?

それとも飽きたのか?

帰ろうという流れになったので帰りました。

 

兄の仕事は終わる時間があまり読めません。

 

最初は日付の変わる頃に帰ると言っていましたが、その後連絡があり3時頃になると。

 

 

そして、またさらにその後。

別の現場に行かなければならなくなったのか?

朝になると。

 

限界を迎えていた母が、もう無理!!

と言い放ち、モッチーの弟さんが来てくれ、私達はやっと帰宅する事ができました。

もう朝方になっていました。

コンビニでお弁当を買って帰りました。

 

 

 

兄も仕事がありましたし、家族だけで面倒を見るのが少し限界にきていました。

 

 

 

母はモッチーが入院していた病院に相談していました。 

病院の方は、モッチーが入院出来るような施設を紹介してくださいました。

 

母は、そこを兄に強くすすめていました。

私も、そこに暫く入院したほうが良いと思っていました。

 

兄も疲れているだろうし。

夜中であっても外出しなければいけない状態の子供たちの事も心配でした。

そして、もちろんモッチーの為にも。

モッチーは、この時なぜか外食に行ったりするとアルコールを好んで飲んでいました。

私たちは強く止めましたが、ダメでした。

 

 

今の状態が落ち着くまで入院したほうが良いと思っていました。

 

 

ですが、兄は頑なに拒否しました。

 

母が相談した病院の方は、兄はおそらくモッチーに依存してしまっているんでしょうね。と仰っていたそうです。

 

 

夫である兄が首を縦に振らない限り、私達が入院を強制することは出来ません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春に退院したモッチー。

この時、季節は夏になっていました。

 

 

 

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世の中はお金が全てだ!!って思ってる所はある。だけどお金じゃ買えない物がある事だってちゃんと分かってる

 

 

 

 

モッチーが入院して5ヶ月ほど経過。

 

 

 

この頃、一般の病室に移っていたと思います。

人工呼吸器も外れました。

数か月の寝たきり生活で、モッチーは筋肉が落ち激痩せしていました。

病院ではリハビリを行っていました。

意識は完全に戻り、食事も出来るようになりました。

 

ですが、元のモッチーではありませんでした。

 

目には覇気が無く、話す事もありません。

表情もあまり変わりません。

落ち着きがあまりありません。

小さい子供のようになってしまいました。

 

 

3月末、モッチーの誕生日。

 

一時帰宅が許可されました。

兄宅で、家族全員でお祝いをしました。

痩せてしまったモッチーの為に、プレゼントは洋服にしました。

兄も洋服をあげていた気がします。

 

プレゼントを開けたモッチーは、言葉を発する事はなく表情も無表情のままでしたが、手をパチパチと叩き喜んでいるようでした。

凄く嬉しかったです。

 

ですが、モッチーは兄と子供達以外の事はあまり理解していないようでした。

母が兄と話したり、私が兄と話したり子供達と遊んでいたりすると、言葉にはしないのですが

 

うぅぅーー

 

と言って怒るのです。

なので、なるべく空気でいるようにしました。

 

 


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4月。

子供たちが春休みに入ったあたりだったと思いますが、外出許可を貰いモッチーを連れお花見に行きました。

桜が満開でとても綺麗でした。

風が強い日で花びらが凄く舞っていました。

お弁当も持っていきました。

モッチーは相変わらず無表情で、お弁当を食べていました。

子供達が話しかけても、あまりリアクションはありません。

脂肪も筋肉も落ちてしまったモッチーは寒そうでした。

 

少し歩いて、公園の遊具で遊ぶ子供達を見ていましたが、途中でモッチーの機嫌が悪くなってきたので、病院に帰る事になりました。

 

 

モッチーは、この時高次脳機能障害と診断されていた気がします。

うろ覚えで本当に申し訳ない・・・

高次脳機能障害 - Wikipedia

 

そして、この時には正式にNMDA脳炎という診断も出ていました。

抗NMDA受容体抗体脳炎 - Wikipedia

 

 

 

モッチーは元々とても表情豊かで、リアクションの良い人でした。

一緒にテレビを見てても、泣いたり笑ったり。

バカ話をして涙が出る程笑いあった事も沢山あります。

誕生日プレゼントだって、毎年渡していましたがどんなものでも大げさなくらい喜んでくれました。

いつも豪快に笑っている人でした。

 

そんな人から、感情が消えました。

笑顔が消えました。

表情も無表情になりました。

私たちが誰なのか、どんな関係なのかもあまり分かっていません。

 

 

脳の病気はこういう事になるのか。

本当に怖いなと思いました。

全くの別人になったように感じました。

モッチーであり、モッチーでない。

これは一体いつまで続くのか。

一生続くのか??

これまでとは違う形の不安を感じるようになっていました。

 

 

4月も終わりが近づいてきた頃。

体が元気になったモッチーは退院しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入院から、約半年が経っていました。

 

 

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人を想う事人を愛する事は凄いパワーを秘めているのかもしれない

 

 

 

 

 

 

皆様、本日はとても寒いですね。

 

 

 

 

いかがお過ごしですか?

今年も残すところ、あと3日。

あと3日でモッチーの話書き終わるのでしょうか?

無理な気がするんですけど、どうなんでしょうかね。

ダッシュで書いていきます。

今年は、大掃除もまだ終わってないです・・・

ニートのくせに、なんでこんなにバタついてるんだろ。

 

 

 

さて、それでは続きを書いていきますね。

過去記事が多くなってきたので、貼りません。

各々見て頂けると嬉しいですm(__)m笑

こちらには書けないエピソードもあるので、後々noteにまとめる予定ございますです。

 

 

 

 

 

モッチーが入院して2ヶ月が経ち、年の瀬。

2011年が終わろうとしていました。

 

モッチーは、起きている日も少し増えてきたかな?って状態でした。

私がお見舞いに行った時、目を開けていたので声をかけました。

モッチーは声は発しませんが、私の事を凝視し涙を流していました。

助けを求めているように感じました。

 

泣かなくて良いよ

大丈夫だよ

 

そう声をかけました。

2ヶ月間点滴だけで過ごしていたモッチーは、すっかりやせ細ってしまいました。

 

そして足の裏の乾燥がひどく、皮がかちこちになりヒビが入っていました。

モッチーの足にヴァセリンをたっぷり塗ってあげました。

 

 

モッチーがいないクリスマス。

姪っ子と甥っ子は、サンタさんへのお手紙を書きました。

 

 

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甥っ子は、まさかの呼び捨てでした。

それでも、ちゃんと甥っ子の元にサンタさんは来ていました。

サンタさんって、心が広いのね。

ステキ。

 

 

 

 

 

 


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年越しも、もちろんモッチーは不在。

皆で初詣に行きました。

モッチーが元気になりますように。

そうお願いしました。

 

1月。

妹2号が成人式の日を迎えました。

小学3~4年生の頃から妹2号を見てきたモッチー。

成人式も楽しみにしてくれていました。

ですが、妹2号の晴れ姿を見せてあげる事は出来ませんでした。

 

 

この辺りから記憶がかなり曖昧なのですが、2012年に入り2~3ヶ月経った頃。

モッチーは普通に起きている状態がかなり増えてきました。

人工呼吸器は相変わらずついていましたが、自発呼吸も少しずつ出来るようになってきました。

 

話したりはしません。

意思の疎通も難しい感じでしたし、お見舞いに行っても私達の事を認識しているのかは分かりませんでした。

 

そのような状態でしたが、なんと子供達との面会にOKが出ました。

 

モッチーが入院してから約4ヶ月ぶりの再会です。

その日、兄・母・姪・甥・私で病院に行きました。

集中治療室に子供は入れません。

待合室で、ドキドキしながらモッチーが来るのを待っていました。

 

暫くすると、車いすに乗せられたモッチーが看護師さんに連れられやって来ました。

看護師さんの配慮で、人工呼吸器がついている喉の部分にはキキララのタオルがマフラーのようにかけてあり、綺麗に隠してありました。

 

甥っ子は、ママー!!と喜んだ様子でしたが、姪っ子は少し緊張した表情をしていました。

モッチーは、声は発しませんでしたが子供たちの顔を交互に見て微笑んでいました。

そして、モッチーは微笑んだままポロポロポロポロと涙を流していました。

良かった。

子供達の事分かってるんだ。

そう思いました。

 

その様子を見て、母も泣いていました。

私は、必死に泣くのをこらえていました。

 

人工呼吸器を外しての状態での面会だったので短時間でしたが、兄も子供達もモッチーも嬉しそうでした。

私もとても嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、長くなっていてごめんなさい。

また明日に続きます。

 

 

自分の愛する人がピンチだったらどんな手を使ってでも助けたいって思うよね

 

 

 

 

 

モッチーが入院して、兄は神棚を取り付けました。

 

 

 

藁にもすがる想いだったのだと思います。

病気に強い神社を調べ、足を運びお札をもらってきていました。

 

 

そして、まだハッキリと病名が分からなかった時、兄はスピリチュアルな人の所にも行っていました。

 

最初に霊視?してくれた方は、モッチーを妬んだりしている人がいて、その人の悪い気のせいで病気になったと仰ったそうです。

 なので、私は兄に言いました。

 

「悪い気で病気になるんなら、私たちが良い気を飛ばせば良いじゃん。それで治るだろ!」

 

兄は「そうだよな!!!」と言っていました。

 

そして2人目。

その方は、テレビにも出ていた人でした。

テレビで見たその方は、相談者の悩み等をズバズバと言い当て、解決法もビシッと仰っていました。

兄は予約をして、モッチーのお母さんと二人でその方の所に行きました。

 

 

兄が帰ってきて、どうだった?と聞くと、こう言われたそうです。

 

 

「・・・これは、狂牛病ですね。」

 

 

 

 

・・・(・_・)

 

 

 

 

は・・・??

 

 

 

一応ね?

一応、ネットで調べましたよ?

念の為ね。

狂牛病についてね。

牛海綿状脳症 - Wikipedia

 

 

うーむ・・・・

なんか良く分からないけど・・・

 

 

 

 

 

違くね???

 

 

絶対違うよね??

 

 

 

あまりにも斜め上な事を言われたので、皆で大爆笑しました。

 

その他にも、色々あったのですが、割愛します!笑

 

今思うと、兄もかなり必死だったんだなと思います。

やれる事は何でもやりたかったんだと思います。

 

 

 


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そしてそんな中、甥っ子のね髪の毛がすぐ伸びるんですよ。

それまでは、モッチーが甥っ子の髪は切っていたんです。

モッチー入院後は、私が切ってあげていたんですけど、だんだん変になっていって(笑)

甥っ子は、気に食わなそうな顔してるし(・_・)

今思うと、普通に散髪してもらいに行けば良かったんですけど、なぜかその発想が無かったんですよね。

 

それで、兄と相談してバリカンを買う事にしました。

 

色んなアタッチメントが付いていて、坊主ではなくスポーツ刈り?っぽくカットできる物を購入しました。

兄が甥っ子にパパが切ってあげるからね

と言って、仕事から帰ってきて早速甥っ子の散髪が始まりました。

リビングに新聞紙を敷き詰め、イスに座らせた甥っ子の髪を兄がバリカンで切り始めました。

 

甥っ子は少し不安がっていました。

 

もともと甥っ子は、サラサラのストレートヘアーで、和田アキ子みたいな?

雨上がりのホトちゃんみたいな?笑

おでこ全部隠れてる感じ。

前髪は目の上あたりまであったんですよ。

 

それをね、兄が前髪のほうから取り掛かったんですね。

 

そしたらね、スポーツ刈りにするわけですから、前髪がごっそりなくなったんですよ。

普通の髪型の人の前髪がなくなったの想像して?

和田アキ子と、ホトちゃんの、前髪だけが三戸なつめ状態になったって想像して?

 

もうね・・・涙こぼれ落ちる程笑いました。

 

前髪がー!

前髪がないー!!WWW

 

つって。

 

兄にお前笑うなよ!!って怒られたんですけどね、そんな兄も笑ってるんですよ。

そして、姪っ子は笑いをこらえながら、甥っ子におもちゃをそっと手渡し、

 

「大丈夫だよ!ちゃんと切ったら、ちゃんとおかしくなるからね!

 

と、全くフォローになっていない、とどめをさすような事を言っていましたwww

 

そして甥っ子を見たら、おもちゃを握りしめたまま、無言で1点を見つめスーッと一筋の涙を流していましたwww

 

 

モッチーが退院したら見せてあげようと思って、全部動画に撮っておきました。

どこにあるかな?

久しぶりに見たくなったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに辛い状況の時でも、面白い事があれば笑えるものですね。

 

 

日記とかって走り書きでも良いから残しておくと良いよね。私?私は3日坊主タイプ♡

 

 

 

 

 

 

モッチーが入院して1ヶ月程経った頃。

 

 

 

11月27日

私は初めてお見舞いに行きました。

それまで、子供達の事があったり風邪をひいてしまったりでなかなか行けませんでした。

(モッチーに風邪がうつったら大変な事になるので。)

 

 

ナースステーションの真後ろにある集中治療室。

中にはモッチーも含め5人くらいの患者さんがいらっしゃいました。

 

久し振りに会うモッチー。

喉の所には人工呼吸器がついています。

 

その日、モッチーは38度くらい熱がありました。

寝ていました。

私はずっとモッチーの手を握っていました。

暫くすると、モッチーの親指にグッと力が入って私の手を強く握ってきました。

生きてる。

モッチーは生きている。

頑張っている。

私はモッチーの手をさする事しか出来ませんでした。

 

また来るからね。

 

そう声をかけ、病院をあとにしました。

 

11月28日

先生がモッチーの血液など調べてくれる所を探していてくださったのですが、やっと見つかったとの事で検査してもらえる事が決まりました。

兄はもっと早くしとけよ!とぶつくさ文句を言っていましたが、先生は費用等も考え色々と手をまわしてくださっていたようでした。

そして、先生から

 

「亡くなったりするような事は無いから大丈夫」

 

との言葉を頂けたようで、私たちはかなり安心しました。

 

 

 


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この頃、家の事、兄宅の事、など母と二人で担ってきた訳ですが、母は体力の限界が来て仕事を辞めました。

そして、母はストレスからか10円ハゲが出来ました。

私は、体重がゴンっと落ちました。

あの頃の体重に戻りたい(切実)

 

 

 

12月に入り、モッチーはたまに目を開ける日も出てきました。

話したりはしません。

私たちは千羽鶴を折ったり、兄がお見舞いの時に見せるというので、デジカメで子供たちのビデオレターを毎日撮っていました。

子供たちは、その日にあった事などをカメラの向こうにいるママに向かい話していました。

 

 

12月5日

今まで使っていなかった、免疫力を高める薬を使い始めたとの事。 

 

 

12月6日

母と二人でお見舞いに行きました。

この日も、モッチーはぐっすり眠っていました。

看護師さん達が、モッチーの髪の毛を結んだりして、かわいくしてくれていました。

帰る時に、「また来るからね」と声をかけたら、モッチーの目から涙が出ていました。

 

 

12月9日

姪っ子8歳の誕生日。

姪っ子のリクエストで、ハンバーグ。

チョコのケーキでお祝い。

兄がプレゼントを2つ買ってきました。

1つは本。

1つは筆箱。

本はパパからで、筆箱はママからだよ。

兄はそう言いました。

姪っ子は

「ママ、なんで私が筆箱欲しいの分かったんだろ?すごっ!!」

と言って喜んでいました。

 

 

12月13日

兄がモッチーの名前を呼んだら、モッチーが泣いたらしい。

兄の事が分かったのかな・・・

 

 

12月21日

母と二人でお見舞いに行きました。

この日は、モッチーはパッチリと目を開けていました。

私が声をかけると、ジーーーっと私の目を見つめてきました。

正直、モッチーであってモッチーではない。

別人のように感じました。

 

お見舞いに行くと、モッチーはたまに痙攣を起こしていました。

その度に、モッチーに繋がれた機械のブザーが鳴ります。

命は大丈夫とは言ってもらえたけれど、その度にとても不安になりました。

 

私たちは、ただ日々を過ごし待つ事しか出来ませんでした。

 

この後、子供たちが冬休みに入りさらに手がかかるようになってしまったので、日誌はこの辺までしか書き残せていません。

ちゃんと書いてなかった自分をぶっ飛ばしてあげたい。

今、そんな気持ちです。

はい。

 

モッチーが入院して2ヶ月が経ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶を呼び起こしつつ・・・

もう少し、続きます。