小梅ブログ

自由気ままに更新していくブログ也。

親の離婚は子供だって疲れる

 

 

 

 

 

小学4年生の、とある日の深夜。

 

 

私は、当時すぐ下の妹1号を凄く可愛がっていて

妹1号も私に凄く懐いていてくれたので、毎日二人で私の部屋で、私のお布団で一緒に寝ていました。

 

 

妹1号と寝ていたら、一階からメガネと母の言い争う声が聞こえてきました。

そして、暫くしたら母が2階まで上がって来て私達を起こしました

「荷物をまとめなさい」

 

正直、またか・・・

という感情しかありませんでした。

 

 

私は、自分の身の回りの物をまとめ

妹1号を抱っこして待機していました。

 

すると、母が

「先に行って!○○の方面に歩いて行ってて!」

と私に言ってきました。

 

 

私は、妹1号を抱っこして外に出ました。

そして、母に言われた場所に向かおうとしていました。

ですが、当時私が住んでいたのは街灯も無いド田舎。

真夜中だったので、真っ暗闇でした。

小学生の私はその暗闇の中、道を進んでいくのが怖くなってしまい、外の駐車場のところで立ち止まり、母達が出てくるのを待っていました。

 

ですが、私の前に最初に姿を現したのはメガネでした。

そして、メガネに妹1号を奪われてしまいました

 

私は、この時の事を今でも後悔しています。

きっと一生後悔して生きていくのだと思います。

 

妹1号は、メガネの車に乗せられ鍵をかけられてしまいました。

遅れて出てきた母に、先に行ってなさいって言ったでしょ!と怒られました。

そのまま、仕方ないので妹1号は置いて

母・兄・私・妹2号の4人で、家を出て

その日は、母の友人宅にお世話になりました。

 

 

今回も、きっとすぐに帰る事になるのだろうと思っていました。

 

 


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ですが、私が次に家に帰ったのは

離婚が決まり、荷物を取りに行った時でした。

 

私達が、荷造りをしている間

メガネは、一人で台所の椅子に座り

無言でタバコを吸っていました。

今でも、その光景は凄くハッキリ覚えています。

 

その時は、母の友人たちも来て色々と手伝ってくれたので、メガネから危害を加えられる事はありませんでした。

 

 

そして、結局そのまま妹1号はメガネに引き取られる事になり、私たちは離れ離れになる事になりました。

本当に、凄く悲しかったです。

あの時、私が母の言う事を聞いて、ちゃんと先に行っていたら妹1号をとられる事は無かったんじゃないか?

とても後悔しました。

心底、自分を責めました。

今でも、思い出すと涙が出ます。

 

 

母が荷造りした時に、一緒に持って来た妹1号の服を抱きしめ

母と二人で、思いっきり泣きました。

 

 

私たちはほぼ身一つでメガネと一緒に過ごした家を出て、新しい家に引っ越しました。

 

転校もしました。

 

名前も、また変わりました。

 

兄弟が一人減りました。

 

新しい日常が始まりました。

 

 

 


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