ピアスを開けると運命が変わるって本当?
中学3年生になった私はピアスを開けました。
母が開けたいと言い買っていたピアッサーが家にありました。
母は、やっぱり怖いと言ってピアッサーは放置されホコリをかぶっていました。
私はそれをずっと狙っていました。
ある日の夕方、家に一人でいた私は意を決して母のピアッサーを使って、ぱちっ☆と開ける事に成功しました。
相変わらず家の中はごたついていたし、今思うと軽い自傷行為だったように思います。
母とケンカしたり、嫌な事があったりムシャクシャするとピアスを開けていました。
ピアスは氷・安全ピン・消毒・消しゴムがあれば、いつでも開けられるのですよねー。
中学時代は多い時で7ヶ所くらい開いてました。
別に不良になった訳じゃないんですよ?
相変わらず制服には自分でアイロンをかけていました。
テカらないように、ちゃんと当て布もしていました。
給食当番だったときはアイロンをかけて給食着を返さないといけないので、それも自分でやっていました。
学年が変わったので体操服のゼッケンも自分で名前を書き、自分で縫い付けました。
新学期に持っていく雑巾も、古いタオルを探して自分で2枚作りました。
ちゃんと周りをグルッと1周縫ったあと、バッテンにも縫いました(笑)
手縫いです。
お母さんドコーーー?!
こんな不良いますか?笑
別に全てを母にやって欲しいわけじゃないんです。
そうじゃないけど、兄弟の中でここまで全て自分でやっていたのは、私だけなのです。
それが悲しかったのです。
中学3年生と言えば受験生ですよね。
私は、勉強?何それ?おいしいの?状態でした。
家事育児で忙しかった1、2年の時にはすでに勉強には追いつけていない感じだったので、3年生の頃には授業内容はチンプンカンプンで、授業中は魂がお空に飛んでいっていました。
母にはテストなんて見せた事無い気がします。
見せてとも言われたことないような気がします。
THE無関心。
塾に通うお金なんぞございません。
自分的にはヤバいなという感覚はもちろんあって、中学の時って選択授業がありましたよね?
確か、1年生の時は理科を選択しました。
実験を沢山して楽しかったです。
2年生の時は家庭科を選択して、ひたすらパッチワークをしていました。
これが後に雑巾作りで役立つ訳ですね。はい。
そして3年生。
何を選択するか決める時に、体育館に生徒が集まって自分が選択したい科目のところに並ぶ。というシステムだったのですが、私はサッパリ分からなかった数学に行こう!と思い、頭の良さそうな人ばかりいる数学の列に並んでいました。
するとハルと町子が近付いてきて
「美術行こう!」と言ってきました。
「いや、私バカだから数学行くわ!まじでヤバいもん」
キッパリと断ってやりました。
そこにアツコや、今日子、メメちゃんもやって来て
「小梅!美術行こう!美術!」
押し問答がありめちゃくちゃ説得されて、私は結局美術に行きました。笑
バカのままが確定しました。
そして、その頃母は母彼の会社を辞め違う仕事をしていて、夕方には家に帰る日が多かったので私は学校終わりで遊べる日が増えました。
フリーダム\(^o^)/