小梅ブログ

自由気ままに更新していくブログ也。

超どうでも良い事だけど私はベロア素材が嫌い。触ると息が苦しくなる

 

istart.hatenablog.com

 ⇈こちらの続きです。

 

 

 

お墓参りに行ってから、モッチーの状態はかなり良くなってきました。

 

 

 


子供達が夏休みの時、兄が夜の現場だったので私が兄宅に泊まりに行ったりもしました。

その時モッチーに軽くボディータッチはされましたが、笑って流せるレベルでした。

会話はあまりありませんでしたが、こちらが何か問いかけたりすればそれには普通に答えてくれるくらいにはなっていました。

 

この時は、まだ笑顔は少なかったように思います。

 

2012年秋。

姪っ子の小学校の運動会がありました。

毎年、モッチー、母、私は日焼け対策をしっかりしていました。

私は基本、日焼け止めベタ塗り。

母は長袖、帽子、日傘。

モッチーは、日焼け止め、帽子。

だったんですね。

それで、この年もモッチーは帽子を用意していました。

 

でも、それが何故かテンガロンハットみたいなやつで。

萩原流石かな?って。

兄も

「それ被って行くの?」

って聞いていたんですけど、モッチーは無表情で

「うん」

と答えていました。

 

下は、ジャージを着ていました。

ジャージにテンガロンハットです。

衝撃のダサさでした。

病気前のモッチーにだったら普通につっこんでいましたが、この時は何も言えずそのまま行きました。

 

 


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姪っ子の出番以外の時は各自用意したレジャーシート+テントを張った場所で待機するのですが、待機中もモッチーは基本無表情で無言でした。

ですが、ママ友が来て話しかけられたりすると普通に話していました。

運動会を見に来ていた、姪っ子甥っ子が通っていた幼稚園の先生にもちゃんと会釈をしたりしていました。

 

 

その後の、甥っ子の幼稚園の運動会も皆で見に行きました。

その前年の2011年の甥っ子の運動会の時、モッチーと2人で話していて彼女は頭が痛いと言っていました。

 

istart.hatenablog.com

 ⇈この時ですね

 

あの頭痛は病気の前兆だったのでしょう。

もう、あれから1年経ったのか。

あっという間の1年だった。

とても大変な1年だった。

一時期は本当にどうなることかと思ったけど、家族みんなよく頑張ったよね。

モッチーが一番頑張った。

生きていてくれて本当に良かった。

そう思いました。

 

 

その後モッチーは、2012年の冬あたりだったと思いますがNMDA脳炎の原因になった子宮にできた腫瘍を取り除く手術を受けました。

1週間程の入院だったと思います。

モッチーの腫瘍には髪の毛が絡んでいたそうです。

ネットで見たNMDA脳炎の症状と完全に一致していて、驚きました。

狂牛病とかほざいてた霊能者よ・・・

名前出したろか。

もう名前忘れたけど。

 

 

そして、2013年の春。

モッチーは甥っ子の卒園式、小学校入学式にも行く事が出来ました。

 

この辺りまでは私たちもサポートしていましたが、モッチーは日に日に良くなっていき私たちのお役目も終わりました。

 

たまに私に電話がかかってきて、家の掃除手伝ってーとか。

タンス買ったから、整理するの手伝ってーとか。

そんな事はあったんですけど。

それは元のモッチーに戻った証拠なのです(笑)

モッチーが退院してからは、私達はモッチーがご飯を食べてくれる事が嬉しくて

食べな食べな~

と、ガンガンに食べさせていました。

 

退院した時ガリガリに痩せ細っていたモッチーは、あっという間にぽちゃってしまい、2人で兄宅を掃除していた時も、モッチーは太ってしまった事を嘆いていました。

なので、私は

「良いじゃん。ご飯もちゃんと食べれて健康って事じゃん。」

と言いました。

本当にそう思ったし。

少し間をおいて、モッチーは答えました。

「・・・いや、太ってるんだから不健康でしょっ!!!」

「・・・たしかに」

「wwwwww」

 

とかね。

あと、モッチーは要らない服とかをくれるんですね。

ある時、モッチーが下着もくれて。

サテン生地みたいな?

ツルツルな生地のおパンティーを差し出してきて(笑)

これ一回も履いてないからつって。

「私、こういう生地キライなんだよねー」

なんて偉そうに言ったら、モッチーは

「うるせーっ。履け!!」

つって。

「新品なんだからモッチー履けば良いじゃん。もったいない」

つって。

「そういう生地キライなんだよね」

「なんだよそれwww」

「wwwwww」

 

なんてお互い言いたい事を言い合って笑いあえるようになりました。

 

 


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みなさん8年越しの花嫁という映画をご存知ですか? 

ja.wikipedia.org

 

私は、まだ観た事無いんですけど(笑)

これね、実話なんですね。

映画化される前にアンビリーバボーで取り上げられてたんですよ。

たまたま私はその回を見ていたんです。

それで、再現ドラマ?をやっていたんですけど。

話が進んでいくにつれ

なにこれ・・・

モッチーの症状と凄く似てる・・・

と思いながら見ていたら、この方もモッチーと同じNMDA脳炎だったので凄く驚きました。

しかも、この方は6年間も昏睡状態が続いていたそうです。

モッチーは意識が無かったのは数か月だったので、とてもラッキーだったんだなと。

そう思いました。

 

 

そして、昨年9月。

モッチーと、LINEでこんなやり取りをしました↓↓

 

 

f:id:Istart:20190115164722j:image

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モッチーは完全復活を果たしてくれました。

私にとって、モッチーはとても大切な義姉です。

大切な家族です。

 

今でも、たまにモッチーが生きててくれて良かったなーってしみじみ思う事があります。

姪っ子にも、ママ元気になって良かったねーって。

「また言ってるよ」

なんて言われるほど、何度も言いました(笑)

だって、本当にそう思うから。

健康ってありがたい。

 

 

 

そんな訳で、かなり長く続いてしまった

モッチー編はこれにて完結です。

 

今後も、モッチーは恐らく沢山出てくる事になると思います。

多分ね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

やっと書き終えれたーーー\(^o^)/笑

 

 

寒いと早く夏こないかなーって思うし暑いと早く冬こないかなーって思う

 

皆様、お久しぶりでございます。

2019年になりましたね。

本年もよろしくお願いいたします。

 

早いもので年が明けて8日も経ちましたね。

驚きの早さ・・・

 

ある人に言われました。

月日が経つのが早く感じるのは、歳だからだぜー!笑笑

つって。

全力のそれなです。

そして全力のうるせーです。

 

 

1週間以上もブログを書かずにいたので、このままダラダラ書かないと、多分1ヶ月とか平気で書かないだろうなと思ったので、今慌てて書いている。

そのような感じです。

モッチーの事に関する記憶とかね。

日に日に薄れていくわけですから。

歳なんですから。

こちとら。

ちっきしょー。

 

 

そんな訳で、続きを書いていこう!!

いってみよう!!

やってみよう!!

 

 

istart.hatenablog.com

 ⇈こちらの続きになります

 

 

 

2012年の夏。

 

 

 

モッチーが退院して、3ヶ月ほど経っていました。

あまり状況は変わっていませんでした。

兄夫婦に代わり、相変わらず甥っ子のお弁当も作っていたし、ドッジボール大会やプール見学にも私と母で行きました。

 

そして、甥っ子の幼稚園で夏祭りがありました。

 

その時も、私と母で行きました。

姪っ子には浴衣を着せ一緒に連れて行きました。

甥っ子は、ボールすくいを楽しそうにしていました。

幼稚園のお祭りなので、ボールすくいのポイはただの網。

破れません。

無限にスーパーボールをすくい続ける甥っ子。

器にこんもり溜まるスーパーボール。

 

おい。

おい。甥っ子よ。

ボールは1人3個までって先生言ってたぞ。

戻すんだ。おい。

 

そんなやり取りをしていました。

日が暮れてからは、盆踊りスタート。

年少さんのかわいさっていったら・・・

ちいせー。

あぁー。ちいせー。

かわええ。

たまらん。

年長さんの甥っ子ももちろん、かわええ。

踊ってる踊ってるぅー。

アンパンマン音頭とかね、踊っていました。

世界で一番かわいかったと言っても過言では無い。

うん。

 

 

最後は、小規模な花火があったんですけど。

その頃になって、兄とモッチーが来ました。

モッチーは少しの会話くらいなら出来るようになっていましたが、やはり表情は無表情。

まだ、モッチーでありモッチーではありませんでした。

 

今ふと思い出した。

モッチーは花火を見て、手を叩いて喜んでいたような気が・・・

それで、まわりの人が少し不思議そうな感じで見ていた気がします・・・

 

違ったかな?夢?笑

いや、でもそうだったと思います。

記憶が曖昧なんですけれども。

 

 


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そして、2012年8月。

子供達は夏休みに入っていました。

兄はモッチーのほうと、自分のほうのお墓参りに行く!!と言い出しました。

ご先祖様の力を借りたかったのだと思います。

 

まずは、モッチーのほうのお墓参りに行っていました。

子供達も一緒に行ったかは忘れましたが、モッチーのお母さんも一緒に行っていました。

この時の事についても色々と書きたい事はあるのですが、ここには書けない内容なので、そのうちnoteに書こうと思います。

 

 

そして、うちのほうのお墓参りにも。

うちのお墓は、私の大好きな祖母の家のすぐ近くにあります。

余談なんですけど、うちの祖母の家は超ド田舎なんですよ。

田舎ってレベルも超えてます。

山の中腹にあります。

さらにその上にお墓があるので、お墓までは軽い登山!

祖母の家は、五右衛門風呂だし、台所には釜戸があり土間。

ぼっとん便所だし、炭を入れるタイプの掘りごたつまであります。笑

 

 

あっ、また話がそれましたね。

 

それでね、その祖母の家まで。

つまり地元までね。

兄は車で帰ると。

すんなり行けても12時間はかかります。

 

おいおい、モッチーそんな状態で大丈夫かよ!?

と思ったのですが、兄は出発しました。

 

無事到着した兄家族を、祖母は喜んで迎え入れてくれました。

お墓参りも済ませ、兄達は祖母と買い物に行ったり温泉に行ったりしたそうです。

 

そして、無事帰ってきた兄家族。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議なもので、この頃から少しずつモッチーの状態が良くなっていきました。

 

 

たまには優雅にタピオカミルクティーでも飲みながらブログ書いちゃおうかしら?嘘だけど

 

 

 

 

 

 

モッチーの話の続きを読みにきてくださった方ごめんなさい。

本日は、続きは書きません。

すまん!!!

 

 

 

 

続きを書こうかとも思ったのですが、今日は大晦日

今年最後の日に、皆様にご挨拶をしておきたかったので、お時間のある方はご覧になって頂けると嬉しいです。

 

 

というか、こんな日に私のブログを読む方などいるのか?笑

更新休んでも気付かれない気がする。

みんな、ガキ使とか紅白とか観てるよね。

なんだか1年あっという間だなー。

 

今年の9月13日からブログを始め。

15日からツイッターを始め。

色んな方と出会う事が出来ました。

まだ3ヶ月ちょっとしか経っていないなんてビックリ。

なんだか、とても濃い3ヶ月を過ごす事が出来ました。

本当に、ブログとツイッターには救われました。

 

 

思い返すと、今年は本当に色んな事がありました。

その中でも、一番思い出に残っているのは2月!!

私の大好きな祖母に会いに行って来ました。

 

私の祖母は、凄く面白い人なんですよ。

今年会う前は、最後に会ったのが9年前のシルバーウィークの時だったんですけど。

その時ね、伯父の家にいて。

バルコニーみたいなところにテーブルセットが置いてあって。

私・祖母・妹でそこに座ってたんです。

それでね、私が祖母に

「ばあちゃーん。お茶飲む?」

って聞いたんです。

 

そしたら、祖母が飲むっていうので私は台所に行ってあったかいお茶を入れたんです。

それで、バルコニーにいる祖母の前に出して、その場を離れたんですね。

そこには、祖母と妹がいたわけですよ。

んで、後で妹に聞いたのですが、祖母は私が入れたお茶を一口飲もうとすすったそうです。

そして次の瞬間

 

 

熱くて飲めんっ!

 

 

と言って、お茶を庭にビシャーッと捨てたそうです(笑)

 

ばあちゃーん!!

冷ませば良くない?

 

 

その後、伯父の家の庭に成っていたミニトマトをつまみ食いしようとしていた祖母。

伯父が、それは農薬がかかってるから食べちゃダメ!って声をかけたんです。

そしたら、祖母は目にも留まらぬスピードで、トマトを地面に叩きつけるように捨てました。

ていっ!って。笑

 

誰かの飲み残しのビールの中身とかも、凄いスピードで庭に捨てたりするんですよ。

手首のスナップが凄いのかな?

 

 

そんな祖母は、料理が上手。

梅干しは手作り。

とってもしょっぱくて、とっても酸っぱい。

子供の頃は、ばあちゃんの梅干しをおやつ代わりに食べたり、緑茶に梅干しを溶かして飲むのが好きでした。

饅頭もよく作ってくれました。

みょうがの葉に包んだ饅頭。

香りが良くてとても美味しいです。

高菜漬けも手作り。

ばあちゃんが漬ける高菜漬けが一番美味しい。

蒟蒻も芋から作ります。

生姜醤油で食べます。

市販の蒟蒻とは食感が全く違います。

 

そして私は、祖母が作るきんぴらごぼうが世界で一番美味しいと思っています。

地元を離れてからは小梅が好きだからと言って、きんぴらごぼうを大量に送ってきてくれていました。

ささがきにするの大変だっただろうなと思います。

いくら、手首のスナップが凄くても。

あの量は大変に違いない。

なので、9年前祖母に教えて貰いました。

祖母が作っている所を、隣でずっと見ていました。

 

砂糖を入れる時、調味料入れに入っていた砂糖。

最初は付属のスプーンで投入していた祖母。

2~3杯入れた所で

あぁー!めんどかっ!!

※めんどくさいという意味です。

と言い、調味料入れからダイレクトに砂糖を投入。

 

うちのばあちゃんは、せっかちなのかな?笑

そんな風にワイルドに作ったきんぴらごぼうも、最高に美味しかった。

祖母の作るきんぴらは、地元にしか売ってない醤油を最後に少し入れないといけないのです。

なので、2月に帰った時にその醤油を買ってきました。

そして、自分でも久しぶりに作ってみました。

途中までは、祖母の味に近かったのですが、火を通しすぎて失敗しました。

まだまだ修行が足りません。

 

 

伯父の家のリビングでテレビを見ていた祖母。

テレビの中の女の人が、

「今回はこちらのフグをプレゼントしまーす」

と言っていました。

 

それを見ていた祖母は

 

「フグは恐ろしか~」

 

と一言。

 

ばあちゃん!

大丈夫!!

ばあちゃん貰えないから!!

 

うちのばあちゃん、かわいくな~い??笑

 

 

母が一人で帰省した時に、祖母がこれを小梅に渡してと母に持たせてくれた物があります。

それが、こちら↓↓

 

 

 

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フリッフリ♡

なんでだろ?

ばあちゃん、私にどんなイメージを持っているんだろう?

フリルとは真逆にいるような女なのに。

 

貰った瞬間に、母になんで?と聞いてしまいました(笑)

趣味では無いけど、10年ほど経った今でも大切に持っています。

 

 

 

 


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 9年前バイバイする前に、祖母を抱きしめました。

祖母はとても小さかったです。

私がデカいせいもあると思うんですけど(笑)

 

「また来るからね。元気でね」

 

そう言ってハグしました。

 

 

それが、祖母との最後でした。

 

 

今年の2月。

私の大好きな祖母は、天国に行きました。

3日後に90歳の誕生日を迎えるはずでした。

世間一般に言えば、大往生だったのかもしれません。

だけど、私はやっぱり悲しい。

とっても悲しかったです。

伯父や伯母、従兄弟たちも皆泣いていました。

みんな、ばあちゃんが大好きだったんです。

 

9年振りに会った祖母は、微笑んでいてとても綺麗な顔をしていました。

お人形さんのようでした。

 

今でも、祖母の事を想うと涙が出てきてしまいます。

 

きっと今頃、ばあちゃんは天国でじいちゃんと仲良くしてるんだろうなーって思います。

そうであって欲しいな。

 

 

 

 

そんなわけで、皆さん。

他にも書きたい事が沢山あったのですが・・・

わたくしは、現在喪中でございます!!

なので、新年のご挨拶は失礼させていただきます。

 

 

そして、本日で毎日更新は終了になります。

これまで、毎日読んでくださった方も、そうでない方も、とにかく今私のブログに目を通してくださっているアナタ。

ありがとう。

 

今後はこちらのブログかnoteにて、不定期で続けていく予定です。

どちらにしても、きちんとご報告します。

モッチーの話も途中までしか書けていませんからね(笑)

 

今年中に綺麗に書き終わりたかったんですけどね・・・

思いのほか長くなってしまって申し訳ないです。

もう少しだけお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

へっぽこブログですが、皆様来年もよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

 

 

もう少し・・・もう少し・・・でも今年中には終わらない。すまん。

 

 

 

 

 

モッチーが退院しました。

 

 

 

まだ正直、正常な状態ではなかったモッチー。

兄が献身的に介護?お世話?していました。

これは書くのを迷いましたが、モッチーはこの時まだ自力での排泄も無理な状態でした。

 

 

一緒に外食にも行ったりしましたが、やはりまだ無表情。

ただ黙々とご飯を食べていました。

家族みんな、ただモッチーがそこにいてくれるだけで、ご飯を食べてくれるだけで嬉しかったです。

 

 

 

モッチーは、私たちを兄の浮気相手のように思っていたのか?

※ちなみに兄は浮気するタイプの男ではありません。

相変わらず怒る事がありました。

言葉にはしませんが、地団駄を踏んで怒るような仕草をするのです。

 

なので、私と母はモッチーの前には姿を見せないようにしました。

 

車に乗っている時は割と機嫌の良いモッチーを、兄が子供達と一緒にドライブや買い物に連れだします。

 

 

その間に、私と母は兄宅に不法侵入。

そして、掃除、洗い物、洗濯をします。

必要に応じて、お布団を干します。

夕飯を作り、食べられる状態にしておきます。

 

兄宅はマンション。

リビングからちょうど駐車場が見えるので、兄達が帰ってきたのを見つけたら、ギリギリまで洗い物などをして玄関から出て鍵を閉めます。

そしてマンションの階段に身を潜め、兄達が家の中に入ったのを確認してからコソコソと帰っていました。

兄達が入るのを確認していたのは、エレベーターで鉢合わせにならないように。

 

 

モッチーはたまに兄の事も分からなくなる事があったようで、駐車場で兄に向かって

 

 

人殺しーー

 

 

などと叫び、近所の方に警察を呼ばれた事もありました。

 

 

モッチーでありモッチーではありません。

 

兄が仕事の時、モッチーのお母さんと私の母でモッチーを病院に検診に連れて行きました。

待合室でモッチーはずっと母の胸を触っていたそうです。

この頃は、少し話せるようにもなっていた気がします。

 

 

 

 


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兄が夜の現場に行かなければいけない時、子供たちとモッチーだけでは置いておけないので、私と母で兄宅へ行きました。

 

私が洗い物をしていると、モッチーは背後から私の胸を触ってきました。

モッチーのようでモッチーでない。

強く拒否すると機嫌が悪くなってしまうかもしれない。

なんともいえない恐怖感がありました。

 

 

結構遅い時間だったと思いますが、モッチーがドンキに行きたいと言い出しました。

頭ごなしにダメだというと、怒ってしまうので

 

もう遅いから、明日で良いんじゃない?

 

などと言いましたが、怒りだしそうだったので子供たちも連れドンキに行きました。

 

 

ドンキに行っても、何か買うわけでもなくモッチーは行った事で満足したのか?

それとも飽きたのか?

帰ろうという流れになったので帰りました。

 

兄の仕事は終わる時間があまり読めません。

 

最初は日付の変わる頃に帰ると言っていましたが、その後連絡があり3時頃になると。

 

 

そして、またさらにその後。

別の現場に行かなければならなくなったのか?

朝になると。

 

限界を迎えていた母が、もう無理!!

と言い放ち、モッチーの弟さんが来てくれ、私達はやっと帰宅する事ができました。

もう朝方になっていました。

コンビニでお弁当を買って帰りました。

 

 

 

兄も仕事がありましたし、家族だけで面倒を見るのが少し限界にきていました。

 

 

 

母はモッチーが入院していた病院に相談していました。 

病院の方は、モッチーが入院出来るような施設を紹介してくださいました。

 

母は、そこを兄に強くすすめていました。

私も、そこに暫く入院したほうが良いと思っていました。

 

兄も疲れているだろうし。

夜中であっても外出しなければいけない状態の子供たちの事も心配でした。

そして、もちろんモッチーの為にも。

モッチーは、この時なぜか外食に行ったりするとアルコールを好んで飲んでいました。

私たちは強く止めましたが、ダメでした。

 

 

今の状態が落ち着くまで入院したほうが良いと思っていました。

 

 

ですが、兄は頑なに拒否しました。

 

母が相談した病院の方は、兄はおそらくモッチーに依存してしまっているんでしょうね。と仰っていたそうです。

 

 

夫である兄が首を縦に振らない限り、私達が入院を強制することは出来ません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春に退院したモッチー。

この時、季節は夏になっていました。

 

 

 

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世の中はお金が全てだ!!って思ってる所はある。だけどお金じゃ買えない物がある事だってちゃんと分かってる

 

 

 

 

モッチーが入院して5ヶ月ほど経過。

 

 

 

この頃、一般の病室に移っていたと思います。

人工呼吸器も外れました。

数か月の寝たきり生活で、モッチーは筋肉が落ち激痩せしていました。

病院ではリハビリを行っていました。

意識は完全に戻り、食事も出来るようになりました。

 

ですが、元のモッチーではありませんでした。

 

目には覇気が無く、話す事もありません。

表情もあまり変わりません。

落ち着きがあまりありません。

小さい子供のようになってしまいました。

 

 

3月末、モッチーの誕生日。

 

一時帰宅が許可されました。

兄宅で、家族全員でお祝いをしました。

痩せてしまったモッチーの為に、プレゼントは洋服にしました。

兄も洋服をあげていた気がします。

 

プレゼントを開けたモッチーは、言葉を発する事はなく表情も無表情のままでしたが、手をパチパチと叩き喜んでいるようでした。

凄く嬉しかったです。

 

ですが、モッチーは兄と子供達以外の事はあまり理解していないようでした。

母が兄と話したり、私が兄と話したり子供達と遊んでいたりすると、言葉にはしないのですが

 

うぅぅーー

 

と言って怒るのです。

なので、なるべく空気でいるようにしました。

 

 


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4月。

子供たちが春休みに入ったあたりだったと思いますが、外出許可を貰いモッチーを連れお花見に行きました。

桜が満開でとても綺麗でした。

風が強い日で花びらが凄く舞っていました。

お弁当も持っていきました。

モッチーは相変わらず無表情で、お弁当を食べていました。

子供達が話しかけても、あまりリアクションはありません。

脂肪も筋肉も落ちてしまったモッチーは寒そうでした。

 

少し歩いて、公園の遊具で遊ぶ子供達を見ていましたが、途中でモッチーの機嫌が悪くなってきたので、病院に帰る事になりました。

 

 

モッチーは、この時高次脳機能障害と診断されていた気がします。

うろ覚えで本当に申し訳ない・・・

高次脳機能障害 - Wikipedia

 

そして、この時には正式にNMDA脳炎という診断も出ていました。

抗NMDA受容体抗体脳炎 - Wikipedia

 

 

 

モッチーは元々とても表情豊かで、リアクションの良い人でした。

一緒にテレビを見てても、泣いたり笑ったり。

バカ話をして涙が出る程笑いあった事も沢山あります。

誕生日プレゼントだって、毎年渡していましたがどんなものでも大げさなくらい喜んでくれました。

いつも豪快に笑っている人でした。

 

そんな人から、感情が消えました。

笑顔が消えました。

表情も無表情になりました。

私たちが誰なのか、どんな関係なのかもあまり分かっていません。

 

 

脳の病気はこういう事になるのか。

本当に怖いなと思いました。

全くの別人になったように感じました。

モッチーであり、モッチーでない。

これは一体いつまで続くのか。

一生続くのか??

これまでとは違う形の不安を感じるようになっていました。

 

 

4月も終わりが近づいてきた頃。

体が元気になったモッチーは退院しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入院から、約半年が経っていました。

 

 

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人を想う事人を愛する事は凄いパワーを秘めているのかもしれない

 

 

 

 

 

 

皆様、本日はとても寒いですね。

 

 

 

 

いかがお過ごしですか?

今年も残すところ、あと3日。

あと3日でモッチーの話書き終わるのでしょうか?

無理な気がするんですけど、どうなんでしょうかね。

ダッシュで書いていきます。

今年は、大掃除もまだ終わってないです・・・

ニートのくせに、なんでこんなにバタついてるんだろ。

 

 

 

さて、それでは続きを書いていきますね。

過去記事が多くなってきたので、貼りません。

各々見て頂けると嬉しいですm(__)m笑

こちらには書けないエピソードもあるので、後々noteにまとめる予定ございますです。

 

 

 

 

 

モッチーが入院して2ヶ月が経ち、年の瀬。

2011年が終わろうとしていました。

 

モッチーは、起きている日も少し増えてきたかな?って状態でした。

私がお見舞いに行った時、目を開けていたので声をかけました。

モッチーは声は発しませんが、私の事を凝視し涙を流していました。

助けを求めているように感じました。

 

泣かなくて良いよ

大丈夫だよ

 

そう声をかけました。

2ヶ月間点滴だけで過ごしていたモッチーは、すっかりやせ細ってしまいました。

 

そして足の裏の乾燥がひどく、皮がかちこちになりヒビが入っていました。

モッチーの足にヴァセリンをたっぷり塗ってあげました。

 

 

モッチーがいないクリスマス。

姪っ子と甥っ子は、サンタさんへのお手紙を書きました。

 

 

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甥っ子は、まさかの呼び捨てでした。

それでも、ちゃんと甥っ子の元にサンタさんは来ていました。

サンタさんって、心が広いのね。

ステキ。

 

 

 

 

 

 


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年越しも、もちろんモッチーは不在。

皆で初詣に行きました。

モッチーが元気になりますように。

そうお願いしました。

 

1月。

妹2号が成人式の日を迎えました。

小学3~4年生の頃から妹2号を見てきたモッチー。

成人式も楽しみにしてくれていました。

ですが、妹2号の晴れ姿を見せてあげる事は出来ませんでした。

 

 

この辺りから記憶がかなり曖昧なのですが、2012年に入り2~3ヶ月経った頃。

モッチーは普通に起きている状態がかなり増えてきました。

人工呼吸器は相変わらずついていましたが、自発呼吸も少しずつ出来るようになってきました。

 

話したりはしません。

意思の疎通も難しい感じでしたし、お見舞いに行っても私達の事を認識しているのかは分かりませんでした。

 

そのような状態でしたが、なんと子供達との面会にOKが出ました。

 

モッチーが入院してから約4ヶ月ぶりの再会です。

その日、兄・母・姪・甥・私で病院に行きました。

集中治療室に子供は入れません。

待合室で、ドキドキしながらモッチーが来るのを待っていました。

 

暫くすると、車いすに乗せられたモッチーが看護師さんに連れられやって来ました。

看護師さんの配慮で、人工呼吸器がついている喉の部分にはキキララのタオルがマフラーのようにかけてあり、綺麗に隠してありました。

 

甥っ子は、ママー!!と喜んだ様子でしたが、姪っ子は少し緊張した表情をしていました。

モッチーは、声は発しませんでしたが子供たちの顔を交互に見て微笑んでいました。

そして、モッチーは微笑んだままポロポロポロポロと涙を流していました。

良かった。

子供達の事分かってるんだ。

そう思いました。

 

その様子を見て、母も泣いていました。

私は、必死に泣くのをこらえていました。

 

人工呼吸器を外しての状態での面会だったので短時間でしたが、兄も子供達もモッチーも嬉しそうでした。

私もとても嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、長くなっていてごめんなさい。

また明日に続きます。

 

 

自分の愛する人がピンチだったらどんな手を使ってでも助けたいって思うよね

 

 

 

 

 

モッチーが入院して、兄は神棚を取り付けました。

 

 

 

藁にもすがる想いだったのだと思います。

病気に強い神社を調べ、足を運びお札をもらってきていました。

 

 

そして、まだハッキリと病名が分からなかった時、兄はスピリチュアルな人の所にも行っていました。

 

最初に霊視?してくれた方は、モッチーを妬んだりしている人がいて、その人の悪い気のせいで病気になったと仰ったそうです。

 なので、私は兄に言いました。

 

「悪い気で病気になるんなら、私たちが良い気を飛ばせば良いじゃん。それで治るだろ!」

 

兄は「そうだよな!!!」と言っていました。

 

そして2人目。

その方は、テレビにも出ていた人でした。

テレビで見たその方は、相談者の悩み等をズバズバと言い当て、解決法もビシッと仰っていました。

兄は予約をして、モッチーのお母さんと二人でその方の所に行きました。

 

 

兄が帰ってきて、どうだった?と聞くと、こう言われたそうです。

 

 

「・・・これは、狂牛病ですね。」

 

 

 

 

・・・(・_・)

 

 

 

 

は・・・??

 

 

 

一応ね?

一応、ネットで調べましたよ?

念の為ね。

狂牛病についてね。

牛海綿状脳症 - Wikipedia

 

 

うーむ・・・・

なんか良く分からないけど・・・

 

 

 

 

 

違くね???

 

 

絶対違うよね??

 

 

 

あまりにも斜め上な事を言われたので、皆で大爆笑しました。

 

その他にも、色々あったのですが、割愛します!笑

 

今思うと、兄もかなり必死だったんだなと思います。

やれる事は何でもやりたかったんだと思います。

 

 

 


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そしてそんな中、甥っ子のね髪の毛がすぐ伸びるんですよ。

それまでは、モッチーが甥っ子の髪は切っていたんです。

モッチー入院後は、私が切ってあげていたんですけど、だんだん変になっていって(笑)

甥っ子は、気に食わなそうな顔してるし(・_・)

今思うと、普通に散髪してもらいに行けば良かったんですけど、なぜかその発想が無かったんですよね。

 

それで、兄と相談してバリカンを買う事にしました。

 

色んなアタッチメントが付いていて、坊主ではなくスポーツ刈り?っぽくカットできる物を購入しました。

兄が甥っ子にパパが切ってあげるからね

と言って、仕事から帰ってきて早速甥っ子の散髪が始まりました。

リビングに新聞紙を敷き詰め、イスに座らせた甥っ子の髪を兄がバリカンで切り始めました。

 

甥っ子は少し不安がっていました。

 

もともと甥っ子は、サラサラのストレートヘアーで、和田アキ子みたいな?

雨上がりのホトちゃんみたいな?笑

おでこ全部隠れてる感じ。

前髪は目の上あたりまであったんですよ。

 

それをね、兄が前髪のほうから取り掛かったんですね。

 

そしたらね、スポーツ刈りにするわけですから、前髪がごっそりなくなったんですよ。

普通の髪型の人の前髪がなくなったの想像して?

和田アキ子と、ホトちゃんの、前髪だけが三戸なつめ状態になったって想像して?

 

もうね・・・涙こぼれ落ちる程笑いました。

 

前髪がー!

前髪がないー!!WWW

 

つって。

 

兄にお前笑うなよ!!って怒られたんですけどね、そんな兄も笑ってるんですよ。

そして、姪っ子は笑いをこらえながら、甥っ子におもちゃをそっと手渡し、

 

「大丈夫だよ!ちゃんと切ったら、ちゃんとおかしくなるからね!

 

と、全くフォローになっていない、とどめをさすような事を言っていましたwww

 

そして甥っ子を見たら、おもちゃを握りしめたまま、無言で1点を見つめスーッと一筋の涙を流していましたwww

 

 

モッチーが退院したら見せてあげようと思って、全部動画に撮っておきました。

どこにあるかな?

久しぶりに見たくなったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに辛い状況の時でも、面白い事があれば笑えるものですね。

 

 

日記とかって走り書きでも良いから残しておくと良いよね。私?私は3日坊主タイプ♡

 

 

 

 

 

 

モッチーが入院して1ヶ月程経った頃。

 

 

 

11月27日

私は初めてお見舞いに行きました。

それまで、子供達の事があったり風邪をひいてしまったりでなかなか行けませんでした。

(モッチーに風邪がうつったら大変な事になるので。)

 

 

ナースステーションの真後ろにある集中治療室。

中にはモッチーも含め5人くらいの患者さんがいらっしゃいました。

 

久し振りに会うモッチー。

喉の所には人工呼吸器がついています。

 

その日、モッチーは38度くらい熱がありました。

寝ていました。

私はずっとモッチーの手を握っていました。

暫くすると、モッチーの親指にグッと力が入って私の手を強く握ってきました。

生きてる。

モッチーは生きている。

頑張っている。

私はモッチーの手をさする事しか出来ませんでした。

 

また来るからね。

 

そう声をかけ、病院をあとにしました。

 

11月28日

先生がモッチーの血液など調べてくれる所を探していてくださったのですが、やっと見つかったとの事で検査してもらえる事が決まりました。

兄はもっと早くしとけよ!とぶつくさ文句を言っていましたが、先生は費用等も考え色々と手をまわしてくださっていたようでした。

そして、先生から

 

「亡くなったりするような事は無いから大丈夫」

 

との言葉を頂けたようで、私たちはかなり安心しました。

 

 

 


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この頃、家の事、兄宅の事、など母と二人で担ってきた訳ですが、母は体力の限界が来て仕事を辞めました。

そして、母はストレスからか10円ハゲが出来ました。

私は、体重がゴンっと落ちました。

あの頃の体重に戻りたい(切実)

 

 

 

12月に入り、モッチーはたまに目を開ける日も出てきました。

話したりはしません。

私たちは千羽鶴を折ったり、兄がお見舞いの時に見せるというので、デジカメで子供たちのビデオレターを毎日撮っていました。

子供たちは、その日にあった事などをカメラの向こうにいるママに向かい話していました。

 

 

12月5日

今まで使っていなかった、免疫力を高める薬を使い始めたとの事。 

 

 

12月6日

母と二人でお見舞いに行きました。

この日も、モッチーはぐっすり眠っていました。

看護師さん達が、モッチーの髪の毛を結んだりして、かわいくしてくれていました。

帰る時に、「また来るからね」と声をかけたら、モッチーの目から涙が出ていました。

 

 

12月9日

姪っ子8歳の誕生日。

姪っ子のリクエストで、ハンバーグ。

チョコのケーキでお祝い。

兄がプレゼントを2つ買ってきました。

1つは本。

1つは筆箱。

本はパパからで、筆箱はママからだよ。

兄はそう言いました。

姪っ子は

「ママ、なんで私が筆箱欲しいの分かったんだろ?すごっ!!」

と言って喜んでいました。

 

 

12月13日

兄がモッチーの名前を呼んだら、モッチーが泣いたらしい。

兄の事が分かったのかな・・・

 

 

12月21日

母と二人でお見舞いに行きました。

この日は、モッチーはパッチリと目を開けていました。

私が声をかけると、ジーーーっと私の目を見つめてきました。

正直、モッチーであってモッチーではない。

別人のように感じました。

 

お見舞いに行くと、モッチーはたまに痙攣を起こしていました。

その度に、モッチーに繋がれた機械のブザーが鳴ります。

命は大丈夫とは言ってもらえたけれど、その度にとても不安になりました。

 

私たちは、ただ日々を過ごし待つ事しか出来ませんでした。

 

この後、子供たちが冬休みに入りさらに手がかかるようになってしまったので、日誌はこの辺までしか書き残せていません。

ちゃんと書いてなかった自分をぶっ飛ばしてあげたい。

今、そんな気持ちです。

はい。

 

モッチーが入院して2ヶ月が経ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶を呼び起こしつつ・・・

もう少し、続きます。

 

 

何年経っても思い出すと涙が出てしまう出来事ってあるよね?

 

 

 

 
istart.hatenablog.com

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 ※⇈こちらの続きです

 

 

 

モッチーが入院して、1番寂しく感じていたのは恐らく姪っ子だと思います。

 

 

 

 

彼女は当時、小学2年生でした。

モッチーが入院してからは、朝自分で起きて私の母が作った朝ごはんを自分であたためて食べてから、登校していました。

兄よ、やってあげてくれよ!!って感じなんですが、姪っ子はわりとしっかりした子だったので、甥っ子の世話だけで手いっぱいだった兄は甘えていたのだと思います。

バカヤロー。

 

 

毎日、姪っ子と甥っ子を私が寝かしつけていました。

だいたい21時くらいに寝かしつけるのですが、仕事帰りにそのまま病院に行く兄は、その時間になっても帰宅していない日もありました。

 

姪っ子には

 

「パパが帰って来るまで居るからね。だから寝なさい」

 

と言っていましたが、それでも不安だったのか姪っ子は毎日私の手をギュッと握って寝ていました。

兄が在宅している日でも、私の手を握りしめていました。

私はずっと、姪っ子の背中をトントンしていました。

寝落ちしそうになる度に、姪っ子は薄目を開けて私がいるかを確認していました。

 

やっと寝たと思って、リビングに行って兄達と話していると、起きてきてしまう事もあり、その時はもう一度一緒に寝室に行って寝かしつけていました。

ちなみに、甥っ子は秒で寝てくれる事が多かったです(笑)

 

 

週末など学校が休みの前日になると、姪っ子はうちに泊まりたがりました。

兄は自分が寂しいからなのか、あまり良い顔をしませんでしたが、姪っ子の強い希望でうちに泊まっていました。

うちに泊まる時は私と妹と一緒に寝るのですが、その時は即寝なのです。

少しは遊ぼうよ!ってくらい即寝です。

手すら握りません(笑)

お布団に入ったそばから、いびきをかいて寝ていました。

 

 

 

 


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ある日、兄が姪っ子をからかうような事を言ったら、姪っ子が少し反抗的な態度を取りました。

普段兄はあまり怒ったりしないのですが、その時は急にヒートアップして姪っ子の事を強めに叱っていました。

姪っ子は母にうながされ謝っていた気がします。

私は、姪っ子がかわいそうだなと思っていましたが、親は兄なので子育てについての口出しをするのは良く無いと思い黙って見ていました。

 

姪っ子はその時、私に背を向けて座っていたのですが、その一連の流れがあったあと暫くして、振り返って私の事を見つめてきました。

その目には、涙がいっぱい溜まっていました。

兄の前で泣くのが悔しかったのだと思います。

泣くのを我慢しているんだなと思った私は、姪っ子はお風呂上りで髪の毛がまだ濡れていたので

 

「髪の毛乾かしに行く?」

 

と言いました。

姪っ子は黙って頷きました。

2人で洗面所に入って私がドアを閉めた瞬間、姪っ子は私に飛びついてきて号泣していました。

思わず私まで涙が出てしまいました。

姪っ子には見られないように、彼女を抱きしめたまま私も泣きました。

 

彼女は、自分は悪くない!と言っていました。

 

私は姪っ子に

 

あなたは何も悪くないよ。

パパは少し疲れてるから怒っちゃっただけなの。

許してあげてね。

 

と言いました。

 

 

子供たちには、とにかく愛情が必要だと思っていた私は、母親であるモッチーの愛情に比べたら1mmも及ばないとは思いましたが、寝かしつける前に必ず姪っ子を抱きしめ

大好き♡

と言っていました。

そうすると、姪っ子は

知ってる

と言います。

そして、甥っ子を抱きしめ

大好き♡

と言いました。

甥っ子は

知ってる

と答えます。

 

そして、おやすみ~☆と言ってから寝るのです。

そんな日々を過ごしている中、姪っ子はモッチーの携帯を使い私とたまにメールのやり取りをしていました。

 

 

 

ある日、姪っ子からこんなメールが送られてきました↓

 ガラケーの画面の写メなので画質最悪です

 

f:id:Istart:20181225142702j:image

 

小梅ちゃんメールおそくなってごめん

しってるとおもうけどだいすきだよ。

 

と書いてありました。

 

泣いたーー(T_T)

叔母ちゃん泣いたー(T_T)

 

ですよ。

 

 

 

 

 

そして、現在の姪っ子とのLINEのやり取りがこちら↓

 

 

f:id:Istart:20181225143350j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時の、かわい子ちゃん・・・

どこ行った(・_・)?笑

 

 

おべんとおべんと嬉しいな♪何でも食べましょよく噛んで♪

 

 

 

 

世の中には太陽のような人がいる。私もそうなりたい - ガチニート脱出大作戦

【袖振り合うも多生の縁】どんな形でも人と人との出会いは運命なのかもしれない - ガチニート脱出大作戦

※⇈こちらの続きになります。

 

 

 

皆様。メリークリスマスです☆

 

 

 

聖なる夜に私のブログを読んでくださる方などいらっしゃるのか?笑

私は、クリスマスイヴだろうとこうしてブログを書いております。

今日はとても天気が良いけど、風が凄いです。日中に書いてます(笑)

さっき出かけたら、髪の毛がメドゥーサみたいになりました。

メドゥーサ - Wikipedia

 

 

現在、モッチーが入院した時の話を書いているのですが、当時の手帳と、モッチーが退院したら見せようと思って書いていた日誌的な物が残っているので、それを見返しながら書いています。

全部を書き残している訳ではないので、記憶も呼び起こしつつの作業です。

そして、今年も残すところ1週間になってしまったのですが、書き終われるのでしょうか?

終わる気がしねぇ!!

その時は不定期で続きを書いていきますので、よろしくお願いいたします。

 

 

それでは、続きを書いていきます。

 

 

 


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モッチーが入院してから、私は主に子供たちのお世話を担当していました。

私たちは私たちで生活があります。

そして父は何もしない人です。

朝、幼稚園のバスに甥っ子が間に合わなかった日やお弁当の日は、母と甥っ子を迎えに行って幼稚園まで送って行きます。

兄は仕事の都合で送って行けない日がほとんどでした。

甥っ子の幼稚園は制服の日と体育着で行く日とがあり、最初の頃はそれが全く分からず甥っ子にはかわいそうな事をしてしまいました。

皆、体育着なのに甥っ子1人が制服・・・とか。

その逆もあったり・・・

ごめんねーーーー

って言ってました(T_T)

帰りはバスだし、先生に聞くのも難しかったんですよね。

慣れない事に、毎日てんやわんやでした。

世の中のお母さん達は、毎日大変だなーって思いました。

 

 

甥っ子を送った後は、まず午前中に家の事をやります。

洗濯などですね。

そして、父の夕飯を作ってお盆の上に全て並べ、温めてすぐ食べられるようにセットし、お風呂もタイマーでセットし、母と共に兄宅に向かいます。

 

兄宅に着いたら、兄家族の洗濯をします。

掃除をします。

 

子供達が帰ってくるまで、母とハマっていた韓国ドラマを観ます(笑)

 

子供達が帰ってきたら、宿題を一緒にしたり遊んだりします。

母が夕飯を作っている間に、子供達と一緒にお風呂に入ります。

母がモッチーのお見舞いに行った日は、これは私が1人でやります。

そして髪の毛を乾かしてあげます。

ご飯を食べます。

洗い物をします。

子供たちの歯磨きをします。

翌日の学校と幼稚園の準備をします。

寝かしつけます。

私が寝かしつけている間に、母が子供たちの朝ごはんを作っておきます。

 

2人が寝たら、兄からその日のモッチーの様子などを聞き、帰ります。

 

 

こんな感じの日常でした。

 

 

そして、毎週水曜日は甥っ子の幼稚園ではお弁当の日でした。

お弁当は私が作る事にしました。

私は、子供がいません。

なので、お弁当事情とか全く分からなかったんですね。

皆がどんなお弁当を持ってきているのかとか、サッパリ分からず。

だけど、何となく子供のお弁当=キャラ弁だと思っていました。

ママが入院中だからって、甥っ子がお弁当で悲しい気持ちになるのはいかん!!

そう考えた私は、水曜日は早めに起きてせっせとキャラ弁を作りました。

 

 

 

当時の画像がいくつか残っていました↓

 

f:id:Istart:20181224123026j:plain

 

 

これが、私が初めて作ったキャラ弁ですね。

当時、甥っ子が好きだった仮面ライダーディケイド

 

甥っ子が帰ってきて、お弁当箱開けたらライダーの部分だけ綺麗に残してありましたwww

こうやって見返すと、まずそうだもんなー・・・

甥っ子は申し訳なさそうな顔をしていましたが、君は何も悪くないよ。

うん。

 

くそーー!叔母ちゃん負けない!!

 

 

そこからは、甥っ子が大好きなマリオ責め。

f:id:Istart:20181224123016j:plain

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好き嫌いの多い甥っ子のおかずは、ほぼ茶色!笑

仮面ライダーは食べてくれなかったけど、マリオシリーズは綺麗に食べてきてくれるようになりました。

 

 みんなこんな感じのお弁当持って来てる?と聞くと

うん!!とニコニコしながら答える甥っ子。

やっぱりそうなのか!と思っていましたが、それは嘘で皆普通のお弁当だったという事が後に判明。

甥っ子は密かにキャラ弁が嬉しかったようです。笑

 

 

姪っ子がお弁当が必要な時も、キャラ弁では無いですが作りましたよ。

 

f:id:Istart:20181224122950j:plain

 

 

ほぼ冷凍食品ですね。はい。

キャラ弁は、大変。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、もう一生作らない(笑)

 

 

【袖振り合うも多生の縁】どんな形でも人と人との出会いは運命なのかもしれない

 

 

 

 

 

モッチーが病院に運ばれた日。

 

 

 

 

モッチーが運ばれた病院はそこそこ大きい病院だったのですが、その日偶然いつもはいない先生が来ていたそうです。

その先生が、詳しくは分からないのですがモッチーのレントゲンだかMRIを他の先生方と一緒に見たそうです。

 

そして、その先生がこれはもしかしたら

 

NMDA脳炎

抗NMDA受容体抗体脳炎 - Wikipedia

 

ではないか?という診断をされました。

これは、後に色々な方のブログやネットの情報を読み漁って分かったのですが、この脳炎は診断が難しくあまり知られてもいないので、精神疾患と診断されたりする事があり治療を開始するのが遅れてしまう事があるそうです。

 

しかしモッチーの場合は、この先生のおかげで病院に運ばれてすぐ適切な治療を開始する事が出来ました。

この脳炎若い女性が発症する事が多く、簡単に言うと卵巣などに奇形腫ができ、体に異物があると判断した脳がそれを排除するための抗体を作るのですが、その抗体が過剰に作られ脳まで攻撃してしまう。という病気なのです。

 

私はこの病名を聞いた時、モッチーが3週間前の甥っ子の運動会の時に頭が痛いと言っていた事を思い出しました。

きっと、あの時から徴候があったのだと思います。

 

 

はっきりと病名が分かるまでは血液検査など行い、結構な時間がかかり私たち家族は不安な日々を送っていました。

私は詳しくは全く分からないのですが、特殊な検査が必要だったのか?病院は検査機関など探してくださり、最善を尽くしてくださいました。

 

モッチーは入院してから、ずっと意識を失ったままで自発呼吸も出来なくなりました。

喉の所を切開し人工呼吸器がつけられました。

 

 

この時、姪っ子は2年生くらいだったと思います。

甥っ子は幼稚園の年中さんでした。

集中治療室に子供は入れないので、お見舞いにも行けませんでした。

すごく不安だったと思います。

すごく寂しかったと思います。

毎日欠かさずお見舞いに行っていた兄も大変だったと思います。

不安だったと思います。

私たちも不安と恐怖でいっぱいでした。

 

 

 

 


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モッチーが入院して2週間ほど経った頃。

モッチーは敗血症になってしまいました。

敗血症 - Wikipedia

敗血症についてネットで調べてみると怖い事しか書いていなくて、凄く不安になりました。

モッチーがいなくなってしまうのではないか?

最悪な事が頭の中をグルグル駆け巡り、怖くてたまりませんでした。

この日は、病院から帰って来た兄も相当落ち込んでいました。

何度もため息をつき、頭を抱えていました。

私はこの日、兄宅からの帰り道、兄にメールを送りました。

 

 

色んな人のブログとか読んでるけど、大きい病気とかになった人って不思議とそれを治せる先生に出会えるんだって!

だからモッチーも絶対大丈夫だから!!!

 

 

そう送りました。

兄からの返事はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敗血症に関しては、先生が前もって敗血症の対策をしていてくださったようで、数日後には落ち着きモッチーは乗り切ってくれました。

 

 

世の中には太陽のような人がいる。私もそうなりたい

 

 

 

 

 

istart.hatenablog.com

 ⇈昨日の続きです

 

 

 

 

私は上の空で母からの連絡を待っていました。

 

 

 

 

どれくらい待ったのかは覚えていません。

母は私との電話を切った後、モッチーが運ばれた病院に行ったようでした。

 

 

 

その後子供達の事もあったので、私は母と合流し兄宅に行きました。

そこで、モッチーの事を色々聞きました。

兄や姪によると、数日前から様子がおかしかったと。

モッチーが倒れる数日前に、姪・甥・モッチーで車で出かけた時に、モッチーが急に奇声をあげていたと。

その時、モッチーは姪っ子に

「ママがおかしかったら、教えてね」

と言っていたそうです。

 

当時、モッチーは仕事の事で色々と悩んでいたようでした。

なので、兄は仕事辞めたら?と言っていたようです。

子供たちの事でも、つい早くしなさい!と言ってしまう事、怒ってしまう事を気にしていたようでした。

兄宅に行ったら、モッチーが子供達に書いた手紙が冷蔵庫に貼ってありました。

そこには色々書いてありましたが

 

ママはみんなの事が大好き♡

 

と書いてありました。

 

 


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色んな悩みを抱えていたモッチーは、自分はそのせいでおかしくなってしまったと思っていたようです。

当時、モッチーのお母さんは離婚して兄宅の近くに越してきていました。

倒れる前日、モッチーはお母さんに来てもらい、お母さんの前でちょっと泣いても良い?と言い、泣いていたそうです。

きっと悩んでいる事での苦しみや、自分がおかしくなっている不安などがあったんだと思います。

 

モッチーは普段とても明るく、朗らかで、よく笑い凄く優しい人。

まさに太陽のような人。

私たちには悩んでいる素振りなど、全く見せませんでした。

 

自分の言動がおかしいと感じていたモッチーは、兄に精神科に連れて行って欲しいと頼んでいたそうです。

 

「明日、絶対病院に連れて行ってね!」

 

倒れる前日にも、兄に念を押して頼んでいたそうです。

なので兄は仕事を調節して休みました。

朝からモッチーを病院に連れて行こうと支度をしている時。

その日は土曜日でした。

子供達も家に居ました。

モッチーは出かける支度をしていて、甥っ子の目の前で倒れました。

兄が気付きモッチーを支え、救急車を呼んだそうです。

 

 

その時、すぐに意識を取り戻したモッチーは119の人と話していた兄と電話を代わり、相手の方に兄の事を患者かのように説明していたそうです。

30代、男性。とかそんな感じですね。

意識は戻ったけれど、救急車は来てくれたようでした。

モッチーは看護師なので、顔見知りの救急隊の方だったようで驚かれたと言っていました。

兄宅から、モッチーが勤めていた病院は近かったけど、兄の判断だったと思いますが勤め先に入院するのは嫌だろうとの事で、少し遠い場所にある病院に運ばれる事になったそうです。

 

 

後々思いました。

この日が土曜日で良かった。

モッチーと子供達だけの時じゃなくて良かった。

モッチーが1人の時じゃなくて良かった。

兄が休みの時で良かった。

心の底からそう思いました。

 

モッチーが1人の時に倒れていたかと思うとゾッとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院に運ばれたモッチーは意識がなくなり、集中治療室に入りました。

 

 

昔からの言い伝えって根拠のない事でも蔑ろにしてはいけないと思う

 

 

 

 

 

今から10~11年位前、私達は引っ越しました。

 

 

 

2DKのアパートとは、おさらばです。

それまでも引っ越しの話は何度かありましたが、実現せずに終わっていました。

なので、その時も私は引っ越しはどうせ実現しないだろうと思っていました。

しかし、母と共に義姉であるモッチーがかなり動いてくれました。

父は相変わらず空気です。

 

 

そして、本当に引っ越す事になり私はかなり驚きました(笑)

 

 

引っ越し先は3LDK。

 

リビングの他に、3部屋あるわけですね。

普通の家庭であれば両親が1部屋を一緒に使い、子供が1部屋ずつって感じですよね?

子供って年齢でも無いですがね。

 

うちはね、普通ではないですからね。

 

父と母が1部屋ずつ。

私と妹が2人で1部屋。

それはね、今も変わっていません。

今もそこに住んでいます。

まぁ、前のアパートに比べたら天国ですよ。

文句言えるような立場でもございませんです。

はい。

 

 

 

それでね、引っ越しの時もモッチーがかなり手伝ってくれたんですよ。

不用品とか捨てる物が大量で、モッチーが休みの日に環境センターまで車で連れて行ってくれたり。

とにかく、めちゃくちゃお世話になりました。

 

そのアパートは、私達が同居する前から父が長く住んでいたんですね。

一番の古株だったっぽいんですけど。

それで、いよいよ完全にアパートとおさらばの日に、大家さんが来て父と母に言ったそうです。

父にだったら、もう一部屋貸すからもっと住んで欲しい。と。

 

・・・頭沸いてんのかよって。

 

・・・いけない。いけない。

また口が悪くなっちゃってたわ♡

ちょっとね。うん。

そんなユニークなね、大家さんだったんですけどね。

春だね~つって。

そんな個性的な大家さんとは、サヨナラ♡って感じでね。

今の家に越してきました。

 

 


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そして、それから数年経った2011年3月。

東日本大震災がありましたね。

 

あの日、父と母はたまたま家に居て、妹は遊びに行っていました。

 

私の住んでいる地域は、震度5強くらいだったと思います。

私と母は慌てて外に飛び出しました。

父は部屋でテレビを押さえていました。

バカなのか?

馬鹿 - Wikipedia

 

余震が続いていましたが、母は夕方から仕事にいかなければならなかったので、私は停電した時に備えてご飯を炊き、おにぎりを作っておきました。

そして、電車が止まってしまったので、遊びに行っていた妹を父と共に車で迎えに行きました。

駅には、帰宅困難者が沢山いました。

バスはぱんぱんで、道路も大渋滞。

徒歩で帰宅している方も、沢山いらっしゃいました。

 

その日は警報が鳴りまくっていて、いつでも逃げられるように普段着のまま、家具が倒れてこない部屋の隅っこに布団を1組敷き、そこに妹と二人で寝ました。

 

そしてその翌日は、妹の専門学校の卒業式でした。

父も母も休みだったので、全員で車で妹を会場まで送って行きました。

数日は余震が続いていたし、テレビでは衝撃的な映像ばかりが流れていて、忘れられない年になってしまいました。

 

 

そんな2011年。

震災から7ヶ月が経った10月。

甥っ子の運動会に行きました。

その時、私は風邪気味で咳が長引いていました。

甥っ子の出番が終わって、私はモッチーと二人で話していました。

 

私の風邪の話になり、長引いてるね~なんてモッチーに言われ、そうなんだよね~と話していました。

風邪流行ってるよねー。

なんて言って、モッチーも頭が痛いと言っていて、大丈夫?熱は?なんて話をしていました。

 

 

それから数日。

 

私はその日、例の販売している物をちまちま作っていたんですね。

それで、飲み物を飲もうと思って台所に行ったんです。

そしたら、物凄く大きい蜘蛛が天井からぶら下がっていたんです。

今住んでいる家は、ちょいちょい蜘蛛が出るんですけど小さいのしか出ないんですよ。

すんごい小さい蜘蛛しか出た事無いんです。

 

だけどね、その日出た蜘蛛はめちゃくちゃ大きかったんですよ。

 

手の平大の蜘蛛でした。

その大きさの蜘蛛が出たのは、後にも先にもその時だけです。

 

家に一人でいた私は、虫がとても苦手なので暫く右往左往して、どうしようか悩んでいました。

暫く様子を見ましたが、その蜘蛛は去る気配がありません。

 

蜘蛛って、殺さないほうが良いって言うじゃないですか?

だから、いつも蜘蛛見つけるとほうきとかで取って外に逃がしていたんですね。

だけど手の平大は、さすがに私はほうきで取る事は無理でした。

 

仕方ないので、私は掃除機を持ち蜘蛛に立ち向かいました。

 

 

蜘蛛との戦いが終わり、私はトイレにいたんです。

携帯を持ってトイレに入っていました。

すると、仕事に行っていた母から電話がかかってきました。

 

電話に出てみると、慌てた様子で母は言いました。

 

「お兄ちゃんから、なんか連絡あった?」

 

「ん?いや、無いけど?なんで?」

 

「モッチーが倒れたって!救急車で運ばれたって!!!」

 

「え?!どういうこと??なんで?」

 

「分かんない!お兄ちゃんと連絡取れたら、また連絡する!」

 

そう言われて、電話は切れました。

私はモッチーが大好きなので、涙が出てきました。

どうしたんだろ?

なんでだろ?

数日前に会ったのに。

そういえば少し元気なかったかも・・・

大した事ないよね?

大丈夫だよね?

さっき私が蜘蛛を殺したから、罰が当たったの?

そんな事を思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日に続きます。

 

 

 

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どんなに自分を繕っていてもふとした時に素がでるよね【いてっっ】とか言っちゃうもん私

 

 

 

 

 

 

皆さん健康診断受けてますか?

 

 

 

 

 

父はね、健康診断とか受けて無かったんですけど、兄の元で働くようになって毎年受ける事になったんですね。

兄の会社にいる職人さんは全員受けるんですけど。

 

 

それで、ある年のある日。

帰ってきた父が言ったんです。

 

「肺ガンかもしれないってさ」

 

って。

正直、父の事はあまり好きではありません。

ですが、これでも一応家族ですからね。

やっぱり心配な気持ちはありました。

父は最初は平気そうな顔をしていましたが、平気な訳はありません。

普段、ちょっと風邪をひいただけでも、死ぬか生きるかの大騒ぎするような男ですから。

 

その時はね、まだ疑いがあるといった段階でしたし、とりあえず再検査を受けましょうという流れになっていました。

 

 

肺がんかもしれないという事が発覚したその日は、確か皆で家でお寿司を食べた気がします。

兄家族も来たような?

それで、父を皆で励ました気がします(笑)

義姉であるモッチーは看護士さんですからね。

知識を織り交ぜつつ、励ましてくれていたような気がします。

本当に優しくていい人ですからね。

 

 

 

そして、たしか再検査の日は皆で父を病院まで送り

 

頑張れ~

 

と言って、送りだしました。

一応、家族ですからね。

別に四六時中、ぐぬぬぅー<(`^´)>

とはなっていません。

そんなの、まさに地獄ですもん。

 

 

 

 


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そして、再検査から数日経ち検査結果が出た日。

その日は、理由は忘れましたが母だけが父に付き添って病院に行きました。

 

結果を聞き終わり、帰宅中の母から電話がかかってきました。

どうだった?と聞くと

 

 

 

「異常なしだった。大丈夫だって」

 

 

 

「あっそう。良かったー」

 

そう言ったのもつかの間。

 

母がなんだか小声で私に言ってきました。

 

 

 

「ホテル行くぞって言われてる!」

 

 

 

は(・_・)?

 

 

知らんし(・_・)

 

 

私に言うなし

(・_・)

 

 

友達じゃねーし

(・_・)

 

 

頼むから、私を巻き込むのはやめてくれ。

そして、父よ。

いい加減諦めろ。

女は一回無理だと思ったら、もう無理だ。

その気持ちが変わる事は、ほぼほぼ無いぞ。

 

直接言ってあげたいけど、父もまさかそんな事が私の耳に入っているなんて想像もしていないでしょうからね(笑)

普通の母親は言わないもん(・_・)

 

結局、母の鉄壁のガードで2人はそのまま帰って来たんですけどね。

 

 

先日ねモッチーとこの時の話になったんです。

母はね、この時の父に迫られた事を、モッチーにも愚痴ってたんですね。

なので、モッチーも知ってるんですよ。

モッチーは兄には話していないらしく、兄は知らないようです。

 

 それで、この話を聞かされたモッチーは母に

 

「やれば良かったじゃないですかーw」

 

って言ったそうです(笑)

さすがですよ、うちの義姉良いでしょ?

最高の義姉ですよ。うん。

兄よ、でかした!

そう言ってあげたいですよ。

 

 

てか、今ふと思ったんですけど、このブログねいつかね兄とか義姉とか妹たちとかに教えようかなー??

どうしようかなー?

とか、ちょっと思ってたんですよ。

でも、今日書いたこの出来事とか、兄も妹も知らないわけですよ。

 

で、こんなエピソードって我が家の

醜態なわけじゃないですか?

 

絶対怒られるよね?

私、絶対怒られるよね?

兄の事、糸目とか言ってディスってるし。

 

やっぱダメだな。

ボコボコにされるわ。

やめよ。

それか、全部リライトしよう。

言葉使いも綺麗にして。

凄く品のあるブログにして教えよう。

そうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めんどくせ。

 

 

note始めてみたのでこちらでもお知らせしておきます

 

 

 

前々回の記事で、noteをやってみようかな?

って書いたんですけども。

早速始めてみましたので、いつもこちらでブログを読んでいただいている方にもお知らせしておきます。

 

note.mu

 

 

まだ手探り状態なので、どうなるのかは分からないのですが、お時間のある時にでも読んでいただけると嬉しいです。

 

 

よろしくお願いいたします。