小梅ブログ

自由気ままに更新していくブログ也。

自分の愛する人がピンチだったらどんな手を使ってでも助けたいって思うよね

 

 

 

 

 

モッチーが入院して、兄は神棚を取り付けました。

 

 

 

藁にもすがる想いだったのだと思います。

病気に強い神社を調べ、足を運びお札をもらってきていました。

 

 

そして、まだハッキリと病名が分からなかった時、兄はスピリチュアルな人の所にも行っていました。

 

最初に霊視?してくれた方は、モッチーを妬んだりしている人がいて、その人の悪い気のせいで病気になったと仰ったそうです。

 なので、私は兄に言いました。

 

「悪い気で病気になるんなら、私たちが良い気を飛ばせば良いじゃん。それで治るだろ!」

 

兄は「そうだよな!!!」と言っていました。

 

そして2人目。

その方は、テレビにも出ていた人でした。

テレビで見たその方は、相談者の悩み等をズバズバと言い当て、解決法もビシッと仰っていました。

兄は予約をして、モッチーのお母さんと二人でその方の所に行きました。

 

 

兄が帰ってきて、どうだった?と聞くと、こう言われたそうです。

 

 

「・・・これは、狂牛病ですね。」

 

 

 

 

・・・(・_・)

 

 

 

 

は・・・??

 

 

 

一応ね?

一応、ネットで調べましたよ?

念の為ね。

狂牛病についてね。

牛海綿状脳症 - Wikipedia

 

 

うーむ・・・・

なんか良く分からないけど・・・

 

 

 

 

 

違くね???

 

 

絶対違うよね??

 

 

 

あまりにも斜め上な事を言われたので、皆で大爆笑しました。

 

その他にも、色々あったのですが、割愛します!笑

 

今思うと、兄もかなり必死だったんだなと思います。

やれる事は何でもやりたかったんだと思います。

 

 

 


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そしてそんな中、甥っ子のね髪の毛がすぐ伸びるんですよ。

それまでは、モッチーが甥っ子の髪は切っていたんです。

モッチー入院後は、私が切ってあげていたんですけど、だんだん変になっていって(笑)

甥っ子は、気に食わなそうな顔してるし(・_・)

今思うと、普通に散髪してもらいに行けば良かったんですけど、なぜかその発想が無かったんですよね。

 

それで、兄と相談してバリカンを買う事にしました。

 

色んなアタッチメントが付いていて、坊主ではなくスポーツ刈り?っぽくカットできる物を購入しました。

兄が甥っ子にパパが切ってあげるからね

と言って、仕事から帰ってきて早速甥っ子の散髪が始まりました。

リビングに新聞紙を敷き詰め、イスに座らせた甥っ子の髪を兄がバリカンで切り始めました。

 

甥っ子は少し不安がっていました。

 

もともと甥っ子は、サラサラのストレートヘアーで、和田アキ子みたいな?

雨上がりのホトちゃんみたいな?笑

おでこ全部隠れてる感じ。

前髪は目の上あたりまであったんですよ。

 

それをね、兄が前髪のほうから取り掛かったんですね。

 

そしたらね、スポーツ刈りにするわけですから、前髪がごっそりなくなったんですよ。

普通の髪型の人の前髪がなくなったの想像して?

和田アキ子と、ホトちゃんの、前髪だけが三戸なつめ状態になったって想像して?

 

もうね・・・涙こぼれ落ちる程笑いました。

 

前髪がー!

前髪がないー!!WWW

 

つって。

 

兄にお前笑うなよ!!って怒られたんですけどね、そんな兄も笑ってるんですよ。

そして、姪っ子は笑いをこらえながら、甥っ子におもちゃをそっと手渡し、

 

「大丈夫だよ!ちゃんと切ったら、ちゃんとおかしくなるからね!

 

と、全くフォローになっていない、とどめをさすような事を言っていましたwww

 

そして甥っ子を見たら、おもちゃを握りしめたまま、無言で1点を見つめスーッと一筋の涙を流していましたwww

 

 

モッチーが退院したら見せてあげようと思って、全部動画に撮っておきました。

どこにあるかな?

久しぶりに見たくなったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんなに辛い状況の時でも、面白い事があれば笑えるものですね。

 

 

日記とかって走り書きでも良いから残しておくと良いよね。私?私は3日坊主タイプ♡

 

 

 

 

 

 

モッチーが入院して1ヶ月程経った頃。

 

 

 

11月27日

私は初めてお見舞いに行きました。

それまで、子供達の事があったり風邪をひいてしまったりでなかなか行けませんでした。

(モッチーに風邪がうつったら大変な事になるので。)

 

 

ナースステーションの真後ろにある集中治療室。

中にはモッチーも含め5人くらいの患者さんがいらっしゃいました。

 

久し振りに会うモッチー。

喉の所には人工呼吸器がついています。

 

その日、モッチーは38度くらい熱がありました。

寝ていました。

私はずっとモッチーの手を握っていました。

暫くすると、モッチーの親指にグッと力が入って私の手を強く握ってきました。

生きてる。

モッチーは生きている。

頑張っている。

私はモッチーの手をさする事しか出来ませんでした。

 

また来るからね。

 

そう声をかけ、病院をあとにしました。

 

11月28日

先生がモッチーの血液など調べてくれる所を探していてくださったのですが、やっと見つかったとの事で検査してもらえる事が決まりました。

兄はもっと早くしとけよ!とぶつくさ文句を言っていましたが、先生は費用等も考え色々と手をまわしてくださっていたようでした。

そして、先生から

 

「亡くなったりするような事は無いから大丈夫」

 

との言葉を頂けたようで、私たちはかなり安心しました。

 

 

 


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この頃、家の事、兄宅の事、など母と二人で担ってきた訳ですが、母は体力の限界が来て仕事を辞めました。

そして、母はストレスからか10円ハゲが出来ました。

私は、体重がゴンっと落ちました。

あの頃の体重に戻りたい(切実)

 

 

 

12月に入り、モッチーはたまに目を開ける日も出てきました。

話したりはしません。

私たちは千羽鶴を折ったり、兄がお見舞いの時に見せるというので、デジカメで子供たちのビデオレターを毎日撮っていました。

子供たちは、その日にあった事などをカメラの向こうにいるママに向かい話していました。

 

 

12月5日

今まで使っていなかった、免疫力を高める薬を使い始めたとの事。 

 

 

12月6日

母と二人でお見舞いに行きました。

この日も、モッチーはぐっすり眠っていました。

看護師さん達が、モッチーの髪の毛を結んだりして、かわいくしてくれていました。

帰る時に、「また来るからね」と声をかけたら、モッチーの目から涙が出ていました。

 

 

12月9日

姪っ子8歳の誕生日。

姪っ子のリクエストで、ハンバーグ。

チョコのケーキでお祝い。

兄がプレゼントを2つ買ってきました。

1つは本。

1つは筆箱。

本はパパからで、筆箱はママからだよ。

兄はそう言いました。

姪っ子は

「ママ、なんで私が筆箱欲しいの分かったんだろ?すごっ!!」

と言って喜んでいました。

 

 

12月13日

兄がモッチーの名前を呼んだら、モッチーが泣いたらしい。

兄の事が分かったのかな・・・

 

 

12月21日

母と二人でお見舞いに行きました。

この日は、モッチーはパッチリと目を開けていました。

私が声をかけると、ジーーーっと私の目を見つめてきました。

正直、モッチーであってモッチーではない。

別人のように感じました。

 

お見舞いに行くと、モッチーはたまに痙攣を起こしていました。

その度に、モッチーに繋がれた機械のブザーが鳴ります。

命は大丈夫とは言ってもらえたけれど、その度にとても不安になりました。

 

私たちは、ただ日々を過ごし待つ事しか出来ませんでした。

 

この後、子供たちが冬休みに入りさらに手がかかるようになってしまったので、日誌はこの辺までしか書き残せていません。

ちゃんと書いてなかった自分をぶっ飛ばしてあげたい。

今、そんな気持ちです。

はい。

 

モッチーが入院して2ヶ月が経ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶を呼び起こしつつ・・・

もう少し、続きます。

 

 

何年経っても思い出すと涙が出てしまう出来事ってあるよね?

 

 

 

 
istart.hatenablog.com

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 ※⇈こちらの続きです

 

 

 

モッチーが入院して、1番寂しく感じていたのは恐らく姪っ子だと思います。

 

 

 

 

彼女は当時、小学2年生でした。

モッチーが入院してからは、朝自分で起きて私の母が作った朝ごはんを自分であたためて食べてから、登校していました。

兄よ、やってあげてくれよ!!って感じなんですが、姪っ子はわりとしっかりした子だったので、甥っ子の世話だけで手いっぱいだった兄は甘えていたのだと思います。

バカヤロー。

 

 

毎日、姪っ子と甥っ子を私が寝かしつけていました。

だいたい21時くらいに寝かしつけるのですが、仕事帰りにそのまま病院に行く兄は、その時間になっても帰宅していない日もありました。

 

姪っ子には

 

「パパが帰って来るまで居るからね。だから寝なさい」

 

と言っていましたが、それでも不安だったのか姪っ子は毎日私の手をギュッと握って寝ていました。

兄が在宅している日でも、私の手を握りしめていました。

私はずっと、姪っ子の背中をトントンしていました。

寝落ちしそうになる度に、姪っ子は薄目を開けて私がいるかを確認していました。

 

やっと寝たと思って、リビングに行って兄達と話していると、起きてきてしまう事もあり、その時はもう一度一緒に寝室に行って寝かしつけていました。

ちなみに、甥っ子は秒で寝てくれる事が多かったです(笑)

 

 

週末など学校が休みの前日になると、姪っ子はうちに泊まりたがりました。

兄は自分が寂しいからなのか、あまり良い顔をしませんでしたが、姪っ子の強い希望でうちに泊まっていました。

うちに泊まる時は私と妹と一緒に寝るのですが、その時は即寝なのです。

少しは遊ぼうよ!ってくらい即寝です。

手すら握りません(笑)

お布団に入ったそばから、いびきをかいて寝ていました。

 

 

 

 


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ある日、兄が姪っ子をからかうような事を言ったら、姪っ子が少し反抗的な態度を取りました。

普段兄はあまり怒ったりしないのですが、その時は急にヒートアップして姪っ子の事を強めに叱っていました。

姪っ子は母にうながされ謝っていた気がします。

私は、姪っ子がかわいそうだなと思っていましたが、親は兄なので子育てについての口出しをするのは良く無いと思い黙って見ていました。

 

姪っ子はその時、私に背を向けて座っていたのですが、その一連の流れがあったあと暫くして、振り返って私の事を見つめてきました。

その目には、涙がいっぱい溜まっていました。

兄の前で泣くのが悔しかったのだと思います。

泣くのを我慢しているんだなと思った私は、姪っ子はお風呂上りで髪の毛がまだ濡れていたので

 

「髪の毛乾かしに行く?」

 

と言いました。

姪っ子は黙って頷きました。

2人で洗面所に入って私がドアを閉めた瞬間、姪っ子は私に飛びついてきて号泣していました。

思わず私まで涙が出てしまいました。

姪っ子には見られないように、彼女を抱きしめたまま私も泣きました。

 

彼女は、自分は悪くない!と言っていました。

 

私は姪っ子に

 

あなたは何も悪くないよ。

パパは少し疲れてるから怒っちゃっただけなの。

許してあげてね。

 

と言いました。

 

 

子供たちには、とにかく愛情が必要だと思っていた私は、母親であるモッチーの愛情に比べたら1mmも及ばないとは思いましたが、寝かしつける前に必ず姪っ子を抱きしめ

大好き♡

と言っていました。

そうすると、姪っ子は

知ってる

と言います。

そして、甥っ子を抱きしめ

大好き♡

と言いました。

甥っ子は

知ってる

と答えます。

 

そして、おやすみ~☆と言ってから寝るのです。

そんな日々を過ごしている中、姪っ子はモッチーの携帯を使い私とたまにメールのやり取りをしていました。

 

 

 

ある日、姪っ子からこんなメールが送られてきました↓

 ガラケーの画面の写メなので画質最悪です

 

f:id:Istart:20181225142702j:image

 

小梅ちゃんメールおそくなってごめん

しってるとおもうけどだいすきだよ。

 

と書いてありました。

 

泣いたーー(T_T)

叔母ちゃん泣いたー(T_T)

 

ですよ。

 

 

 

 

 

そして、現在の姪っ子とのLINEのやり取りがこちら↓

 

 

f:id:Istart:20181225143350j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時の、かわい子ちゃん・・・

どこ行った(・_・)?笑

 

 

おべんとおべんと嬉しいな♪何でも食べましょよく噛んで♪

 

 

 

 

世の中には太陽のような人がいる。私もそうなりたい - ガチニート脱出大作戦

【袖振り合うも多生の縁】どんな形でも人と人との出会いは運命なのかもしれない - ガチニート脱出大作戦

※⇈こちらの続きになります。

 

 

 

皆様。メリークリスマスです☆

 

 

 

聖なる夜に私のブログを読んでくださる方などいらっしゃるのか?笑

私は、クリスマスイヴだろうとこうしてブログを書いております。

今日はとても天気が良いけど、風が凄いです。日中に書いてます(笑)

さっき出かけたら、髪の毛がメドゥーサみたいになりました。

メドゥーサ - Wikipedia

 

 

現在、モッチーが入院した時の話を書いているのですが、当時の手帳と、モッチーが退院したら見せようと思って書いていた日誌的な物が残っているので、それを見返しながら書いています。

全部を書き残している訳ではないので、記憶も呼び起こしつつの作業です。

そして、今年も残すところ1週間になってしまったのですが、書き終われるのでしょうか?

終わる気がしねぇ!!

その時は不定期で続きを書いていきますので、よろしくお願いいたします。

 

 

それでは、続きを書いていきます。

 

 

 


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モッチーが入院してから、私は主に子供たちのお世話を担当していました。

私たちは私たちで生活があります。

そして父は何もしない人です。

朝、幼稚園のバスに甥っ子が間に合わなかった日やお弁当の日は、母と甥っ子を迎えに行って幼稚園まで送って行きます。

兄は仕事の都合で送って行けない日がほとんどでした。

甥っ子の幼稚園は制服の日と体育着で行く日とがあり、最初の頃はそれが全く分からず甥っ子にはかわいそうな事をしてしまいました。

皆、体育着なのに甥っ子1人が制服・・・とか。

その逆もあったり・・・

ごめんねーーーー

って言ってました(T_T)

帰りはバスだし、先生に聞くのも難しかったんですよね。

慣れない事に、毎日てんやわんやでした。

世の中のお母さん達は、毎日大変だなーって思いました。

 

 

甥っ子を送った後は、まず午前中に家の事をやります。

洗濯などですね。

そして、父の夕飯を作ってお盆の上に全て並べ、温めてすぐ食べられるようにセットし、お風呂もタイマーでセットし、母と共に兄宅に向かいます。

 

兄宅に着いたら、兄家族の洗濯をします。

掃除をします。

 

子供達が帰ってくるまで、母とハマっていた韓国ドラマを観ます(笑)

 

子供達が帰ってきたら、宿題を一緒にしたり遊んだりします。

母が夕飯を作っている間に、子供達と一緒にお風呂に入ります。

母がモッチーのお見舞いに行った日は、これは私が1人でやります。

そして髪の毛を乾かしてあげます。

ご飯を食べます。

洗い物をします。

子供たちの歯磨きをします。

翌日の学校と幼稚園の準備をします。

寝かしつけます。

私が寝かしつけている間に、母が子供たちの朝ごはんを作っておきます。

 

2人が寝たら、兄からその日のモッチーの様子などを聞き、帰ります。

 

 

こんな感じの日常でした。

 

 

そして、毎週水曜日は甥っ子の幼稚園ではお弁当の日でした。

お弁当は私が作る事にしました。

私は、子供がいません。

なので、お弁当事情とか全く分からなかったんですね。

皆がどんなお弁当を持ってきているのかとか、サッパリ分からず。

だけど、何となく子供のお弁当=キャラ弁だと思っていました。

ママが入院中だからって、甥っ子がお弁当で悲しい気持ちになるのはいかん!!

そう考えた私は、水曜日は早めに起きてせっせとキャラ弁を作りました。

 

 

 

当時の画像がいくつか残っていました↓

 

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これが、私が初めて作ったキャラ弁ですね。

当時、甥っ子が好きだった仮面ライダーディケイド

 

甥っ子が帰ってきて、お弁当箱開けたらライダーの部分だけ綺麗に残してありましたwww

こうやって見返すと、まずそうだもんなー・・・

甥っ子は申し訳なさそうな顔をしていましたが、君は何も悪くないよ。

うん。

 

くそーー!叔母ちゃん負けない!!

 

 

そこからは、甥っ子が大好きなマリオ責め。

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好き嫌いの多い甥っ子のおかずは、ほぼ茶色!笑

仮面ライダーは食べてくれなかったけど、マリオシリーズは綺麗に食べてきてくれるようになりました。

 

 みんなこんな感じのお弁当持って来てる?と聞くと

うん!!とニコニコしながら答える甥っ子。

やっぱりそうなのか!と思っていましたが、それは嘘で皆普通のお弁当だったという事が後に判明。

甥っ子は密かにキャラ弁が嬉しかったようです。笑

 

 

姪っ子がお弁当が必要な時も、キャラ弁では無いですが作りましたよ。

 

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ほぼ冷凍食品ですね。はい。

キャラ弁は、大変。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多分、もう一生作らない(笑)

 

 

【袖振り合うも多生の縁】どんな形でも人と人との出会いは運命なのかもしれない

 

 

 

 

 

モッチーが病院に運ばれた日。

 

 

 

 

モッチーが運ばれた病院はそこそこ大きい病院だったのですが、その日偶然いつもはいない先生が来ていたそうです。

その先生が、詳しくは分からないのですがモッチーのレントゲンだかMRIを他の先生方と一緒に見たそうです。

 

そして、その先生がこれはもしかしたら

 

NMDA脳炎

抗NMDA受容体抗体脳炎 - Wikipedia

 

ではないか?という診断をされました。

これは、後に色々な方のブログやネットの情報を読み漁って分かったのですが、この脳炎は診断が難しくあまり知られてもいないので、精神疾患と診断されたりする事があり治療を開始するのが遅れてしまう事があるそうです。

 

しかしモッチーの場合は、この先生のおかげで病院に運ばれてすぐ適切な治療を開始する事が出来ました。

この脳炎若い女性が発症する事が多く、簡単に言うと卵巣などに奇形腫ができ、体に異物があると判断した脳がそれを排除するための抗体を作るのですが、その抗体が過剰に作られ脳まで攻撃してしまう。という病気なのです。

 

私はこの病名を聞いた時、モッチーが3週間前の甥っ子の運動会の時に頭が痛いと言っていた事を思い出しました。

きっと、あの時から徴候があったのだと思います。

 

 

はっきりと病名が分かるまでは血液検査など行い、結構な時間がかかり私たち家族は不安な日々を送っていました。

私は詳しくは全く分からないのですが、特殊な検査が必要だったのか?病院は検査機関など探してくださり、最善を尽くしてくださいました。

 

モッチーは入院してから、ずっと意識を失ったままで自発呼吸も出来なくなりました。

喉の所を切開し人工呼吸器がつけられました。

 

 

この時、姪っ子は2年生くらいだったと思います。

甥っ子は幼稚園の年中さんでした。

集中治療室に子供は入れないので、お見舞いにも行けませんでした。

すごく不安だったと思います。

すごく寂しかったと思います。

毎日欠かさずお見舞いに行っていた兄も大変だったと思います。

不安だったと思います。

私たちも不安と恐怖でいっぱいでした。

 

 

 

 


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モッチーが入院して2週間ほど経った頃。

モッチーは敗血症になってしまいました。

敗血症 - Wikipedia

敗血症についてネットで調べてみると怖い事しか書いていなくて、凄く不安になりました。

モッチーがいなくなってしまうのではないか?

最悪な事が頭の中をグルグル駆け巡り、怖くてたまりませんでした。

この日は、病院から帰って来た兄も相当落ち込んでいました。

何度もため息をつき、頭を抱えていました。

私はこの日、兄宅からの帰り道、兄にメールを送りました。

 

 

色んな人のブログとか読んでるけど、大きい病気とかになった人って不思議とそれを治せる先生に出会えるんだって!

だからモッチーも絶対大丈夫だから!!!

 

 

そう送りました。

兄からの返事はありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敗血症に関しては、先生が前もって敗血症の対策をしていてくださったようで、数日後には落ち着きモッチーは乗り切ってくれました。

 

 

世の中には太陽のような人がいる。私もそうなりたい

 

 

 

 

 

istart.hatenablog.com

 ⇈昨日の続きです

 

 

 

 

私は上の空で母からの連絡を待っていました。

 

 

 

 

どれくらい待ったのかは覚えていません。

母は私との電話を切った後、モッチーが運ばれた病院に行ったようでした。

 

 

 

その後子供達の事もあったので、私は母と合流し兄宅に行きました。

そこで、モッチーの事を色々聞きました。

兄や姪によると、数日前から様子がおかしかったと。

モッチーが倒れる数日前に、姪・甥・モッチーで車で出かけた時に、モッチーが急に奇声をあげていたと。

その時、モッチーは姪っ子に

「ママがおかしかったら、教えてね」

と言っていたそうです。

 

当時、モッチーは仕事の事で色々と悩んでいたようでした。

なので、兄は仕事辞めたら?と言っていたようです。

子供たちの事でも、つい早くしなさい!と言ってしまう事、怒ってしまう事を気にしていたようでした。

兄宅に行ったら、モッチーが子供達に書いた手紙が冷蔵庫に貼ってありました。

そこには色々書いてありましたが

 

ママはみんなの事が大好き♡

 

と書いてありました。

 

 


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色んな悩みを抱えていたモッチーは、自分はそのせいでおかしくなってしまったと思っていたようです。

当時、モッチーのお母さんは離婚して兄宅の近くに越してきていました。

倒れる前日、モッチーはお母さんに来てもらい、お母さんの前でちょっと泣いても良い?と言い、泣いていたそうです。

きっと悩んでいる事での苦しみや、自分がおかしくなっている不安などがあったんだと思います。

 

モッチーは普段とても明るく、朗らかで、よく笑い凄く優しい人。

まさに太陽のような人。

私たちには悩んでいる素振りなど、全く見せませんでした。

 

自分の言動がおかしいと感じていたモッチーは、兄に精神科に連れて行って欲しいと頼んでいたそうです。

 

「明日、絶対病院に連れて行ってね!」

 

倒れる前日にも、兄に念を押して頼んでいたそうです。

なので兄は仕事を調節して休みました。

朝からモッチーを病院に連れて行こうと支度をしている時。

その日は土曜日でした。

子供達も家に居ました。

モッチーは出かける支度をしていて、甥っ子の目の前で倒れました。

兄が気付きモッチーを支え、救急車を呼んだそうです。

 

 

その時、すぐに意識を取り戻したモッチーは119の人と話していた兄と電話を代わり、相手の方に兄の事を患者かのように説明していたそうです。

30代、男性。とかそんな感じですね。

意識は戻ったけれど、救急車は来てくれたようでした。

モッチーは看護師なので、顔見知りの救急隊の方だったようで驚かれたと言っていました。

兄宅から、モッチーが勤めていた病院は近かったけど、兄の判断だったと思いますが勤め先に入院するのは嫌だろうとの事で、少し遠い場所にある病院に運ばれる事になったそうです。

 

 

後々思いました。

この日が土曜日で良かった。

モッチーと子供達だけの時じゃなくて良かった。

モッチーが1人の時じゃなくて良かった。

兄が休みの時で良かった。

心の底からそう思いました。

 

モッチーが1人の時に倒れていたかと思うとゾッとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院に運ばれたモッチーは意識がなくなり、集中治療室に入りました。

 

 

昔からの言い伝えって根拠のない事でも蔑ろにしてはいけないと思う

 

 

 

 

 

今から10~11年位前、私達は引っ越しました。

 

 

 

2DKのアパートとは、おさらばです。

それまでも引っ越しの話は何度かありましたが、実現せずに終わっていました。

なので、その時も私は引っ越しはどうせ実現しないだろうと思っていました。

しかし、母と共に義姉であるモッチーがかなり動いてくれました。

父は相変わらず空気です。

 

 

そして、本当に引っ越す事になり私はかなり驚きました(笑)

 

 

引っ越し先は3LDK。

 

リビングの他に、3部屋あるわけですね。

普通の家庭であれば両親が1部屋を一緒に使い、子供が1部屋ずつって感じですよね?

子供って年齢でも無いですがね。

 

うちはね、普通ではないですからね。

 

父と母が1部屋ずつ。

私と妹が2人で1部屋。

それはね、今も変わっていません。

今もそこに住んでいます。

まぁ、前のアパートに比べたら天国ですよ。

文句言えるような立場でもございませんです。

はい。

 

 

 

それでね、引っ越しの時もモッチーがかなり手伝ってくれたんですよ。

不用品とか捨てる物が大量で、モッチーが休みの日に環境センターまで車で連れて行ってくれたり。

とにかく、めちゃくちゃお世話になりました。

 

そのアパートは、私達が同居する前から父が長く住んでいたんですね。

一番の古株だったっぽいんですけど。

それで、いよいよ完全にアパートとおさらばの日に、大家さんが来て父と母に言ったそうです。

父にだったら、もう一部屋貸すからもっと住んで欲しい。と。

 

・・・頭沸いてんのかよって。

 

・・・いけない。いけない。

また口が悪くなっちゃってたわ♡

ちょっとね。うん。

そんなユニークなね、大家さんだったんですけどね。

春だね~つって。

そんな個性的な大家さんとは、サヨナラ♡って感じでね。

今の家に越してきました。

 

 


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そして、それから数年経った2011年3月。

東日本大震災がありましたね。

 

あの日、父と母はたまたま家に居て、妹は遊びに行っていました。

 

私の住んでいる地域は、震度5強くらいだったと思います。

私と母は慌てて外に飛び出しました。

父は部屋でテレビを押さえていました。

バカなのか?

馬鹿 - Wikipedia

 

余震が続いていましたが、母は夕方から仕事にいかなければならなかったので、私は停電した時に備えてご飯を炊き、おにぎりを作っておきました。

そして、電車が止まってしまったので、遊びに行っていた妹を父と共に車で迎えに行きました。

駅には、帰宅困難者が沢山いました。

バスはぱんぱんで、道路も大渋滞。

徒歩で帰宅している方も、沢山いらっしゃいました。

 

その日は警報が鳴りまくっていて、いつでも逃げられるように普段着のまま、家具が倒れてこない部屋の隅っこに布団を1組敷き、そこに妹と二人で寝ました。

 

そしてその翌日は、妹の専門学校の卒業式でした。

父も母も休みだったので、全員で車で妹を会場まで送って行きました。

数日は余震が続いていたし、テレビでは衝撃的な映像ばかりが流れていて、忘れられない年になってしまいました。

 

 

そんな2011年。

震災から7ヶ月が経った10月。

甥っ子の運動会に行きました。

その時、私は風邪気味で咳が長引いていました。

甥っ子の出番が終わって、私はモッチーと二人で話していました。

 

私の風邪の話になり、長引いてるね~なんてモッチーに言われ、そうなんだよね~と話していました。

風邪流行ってるよねー。

なんて言って、モッチーも頭が痛いと言っていて、大丈夫?熱は?なんて話をしていました。

 

 

それから数日。

 

私はその日、例の販売している物をちまちま作っていたんですね。

それで、飲み物を飲もうと思って台所に行ったんです。

そしたら、物凄く大きい蜘蛛が天井からぶら下がっていたんです。

今住んでいる家は、ちょいちょい蜘蛛が出るんですけど小さいのしか出ないんですよ。

すんごい小さい蜘蛛しか出た事無いんです。

 

だけどね、その日出た蜘蛛はめちゃくちゃ大きかったんですよ。

 

手の平大の蜘蛛でした。

その大きさの蜘蛛が出たのは、後にも先にもその時だけです。

 

家に一人でいた私は、虫がとても苦手なので暫く右往左往して、どうしようか悩んでいました。

暫く様子を見ましたが、その蜘蛛は去る気配がありません。

 

蜘蛛って、殺さないほうが良いって言うじゃないですか?

だから、いつも蜘蛛見つけるとほうきとかで取って外に逃がしていたんですね。

だけど手の平大は、さすがに私はほうきで取る事は無理でした。

 

仕方ないので、私は掃除機を持ち蜘蛛に立ち向かいました。

 

 

蜘蛛との戦いが終わり、私はトイレにいたんです。

携帯を持ってトイレに入っていました。

すると、仕事に行っていた母から電話がかかってきました。

 

電話に出てみると、慌てた様子で母は言いました。

 

「お兄ちゃんから、なんか連絡あった?」

 

「ん?いや、無いけど?なんで?」

 

「モッチーが倒れたって!救急車で運ばれたって!!!」

 

「え?!どういうこと??なんで?」

 

「分かんない!お兄ちゃんと連絡取れたら、また連絡する!」

 

そう言われて、電話は切れました。

私はモッチーが大好きなので、涙が出てきました。

どうしたんだろ?

なんでだろ?

数日前に会ったのに。

そういえば少し元気なかったかも・・・

大した事ないよね?

大丈夫だよね?

さっき私が蜘蛛を殺したから、罰が当たったの?

そんな事を思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日に続きます。

 

 

 

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どんなに自分を繕っていてもふとした時に素がでるよね【いてっっ】とか言っちゃうもん私

 

 

 

 

 

 

皆さん健康診断受けてますか?

 

 

 

 

 

父はね、健康診断とか受けて無かったんですけど、兄の元で働くようになって毎年受ける事になったんですね。

兄の会社にいる職人さんは全員受けるんですけど。

 

 

それで、ある年のある日。

帰ってきた父が言ったんです。

 

「肺ガンかもしれないってさ」

 

って。

正直、父の事はあまり好きではありません。

ですが、これでも一応家族ですからね。

やっぱり心配な気持ちはありました。

父は最初は平気そうな顔をしていましたが、平気な訳はありません。

普段、ちょっと風邪をひいただけでも、死ぬか生きるかの大騒ぎするような男ですから。

 

その時はね、まだ疑いがあるといった段階でしたし、とりあえず再検査を受けましょうという流れになっていました。

 

 

肺がんかもしれないという事が発覚したその日は、確か皆で家でお寿司を食べた気がします。

兄家族も来たような?

それで、父を皆で励ました気がします(笑)

義姉であるモッチーは看護士さんですからね。

知識を織り交ぜつつ、励ましてくれていたような気がします。

本当に優しくていい人ですからね。

 

 

 

そして、たしか再検査の日は皆で父を病院まで送り

 

頑張れ~

 

と言って、送りだしました。

一応、家族ですからね。

別に四六時中、ぐぬぬぅー<(`^´)>

とはなっていません。

そんなの、まさに地獄ですもん。

 

 

 

 


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そして、再検査から数日経ち検査結果が出た日。

その日は、理由は忘れましたが母だけが父に付き添って病院に行きました。

 

結果を聞き終わり、帰宅中の母から電話がかかってきました。

どうだった?と聞くと

 

 

 

「異常なしだった。大丈夫だって」

 

 

 

「あっそう。良かったー」

 

そう言ったのもつかの間。

 

母がなんだか小声で私に言ってきました。

 

 

 

「ホテル行くぞって言われてる!」

 

 

 

は(・_・)?

 

 

知らんし(・_・)

 

 

私に言うなし

(・_・)

 

 

友達じゃねーし

(・_・)

 

 

頼むから、私を巻き込むのはやめてくれ。

そして、父よ。

いい加減諦めろ。

女は一回無理だと思ったら、もう無理だ。

その気持ちが変わる事は、ほぼほぼ無いぞ。

 

直接言ってあげたいけど、父もまさかそんな事が私の耳に入っているなんて想像もしていないでしょうからね(笑)

普通の母親は言わないもん(・_・)

 

結局、母の鉄壁のガードで2人はそのまま帰って来たんですけどね。

 

 

先日ねモッチーとこの時の話になったんです。

母はね、この時の父に迫られた事を、モッチーにも愚痴ってたんですね。

なので、モッチーも知ってるんですよ。

モッチーは兄には話していないらしく、兄は知らないようです。

 

 それで、この話を聞かされたモッチーは母に

 

「やれば良かったじゃないですかーw」

 

って言ったそうです(笑)

さすがですよ、うちの義姉良いでしょ?

最高の義姉ですよ。うん。

兄よ、でかした!

そう言ってあげたいですよ。

 

 

てか、今ふと思ったんですけど、このブログねいつかね兄とか義姉とか妹たちとかに教えようかなー??

どうしようかなー?

とか、ちょっと思ってたんですよ。

でも、今日書いたこの出来事とか、兄も妹も知らないわけですよ。

 

で、こんなエピソードって我が家の

醜態なわけじゃないですか?

 

絶対怒られるよね?

私、絶対怒られるよね?

兄の事、糸目とか言ってディスってるし。

 

やっぱダメだな。

ボコボコにされるわ。

やめよ。

それか、全部リライトしよう。

言葉使いも綺麗にして。

凄く品のあるブログにして教えよう。

そうしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めんどくせ。

 

 

note始めてみたのでこちらでもお知らせしておきます

 

 

 

前々回の記事で、noteをやってみようかな?

って書いたんですけども。

早速始めてみましたので、いつもこちらでブログを読んでいただいている方にもお知らせしておきます。

 

note.mu

 

 

まだ手探り状態なので、どうなるのかは分からないのですが、お時間のある時にでも読んでいただけると嬉しいです。

 

 

よろしくお願いいたします。

 

 

生きていると本当に色んな事が起こるね。どんな事でも人生のスパイスだとそう思えるようになったら良いのにな

 

 

 

 

 

今から、12~3年前の事だったと思います。

 

 

 

 

地元県の裁判所から母宛に1通の出紙が届きました。

そこには、メガネお姉さんの名前(妹たちにとっては伯母)と、妹1号の名前が書いてありました。

 

 

そして、そこにはその伯母さんが妹1号の後見人になる事を許可しますか?

的な事が記載されていました。

私と母は、その手紙を見て

 

何?どういう事???

 

となっていました。

母は、裁判所に電話をしました。

 

 

 

裁判所の人と話し終わった母は泣いていました。

 

 

 

 

メガネが亡くなった

 

 

 

そう教えられました。

 

その為、当時妹1号はまだ未成年だったので後見人が必要だったのだと思います。

裁判所の方は、妹1号と面談をしたそうで色々と教えてくれました。

 

 

妹1号は、施設に預けられていたそうです。

いつから預けられていたのかは分かりません。

昨日の記事に書いた、祖母の家にメガネが電話してきた時には、すでに妹1号は施設に入れられていたのかもしれません。

 

妹は高校で合唱を頑張っている事。

 

 

istart.hatenablog.com

 

 

⇈この時、私と母が会いに行った事を覚えているという事。

等を教えてくれました。

 

メガネは、母と離婚し酒に溺れ体を壊し亡くなったそうです。

 

母は「あいつはバカだよ」と言いながら泣いていました。

私は、本当に1人ぼっちになってしまった妹1号の事を考えると、涙が止まりませんでした。

母に見られないように、ひっそりと泣きました。

 

そして、妹2号は自分にそんな父親がいる事を知りません。

この先、いつか絶対知る時が来ます。

その時。

実の父親の存在を知った時。

彼女が会いたいと思っても、それは絶対に叶いません。

それを考えると妹2号がかわいそうで、涙が出ました。

 

今でもそれを考えると、涙が出ます。

今、泣きながら書いてます(笑)

 

 

そして、裁判所の方が妹1号に手紙を書いてくれれば渡しますと仰ってくださいました。

なので、母と私はそれぞれ妹1号に宛てて手紙を書きました。

母がどんな事を書いたのかは知りません。

 

私は、色々書きましたが

 

あなたの事は1日だって忘れた事ないよ

 

と。そう書きました。

そして、自分の携帯番号。

住所。

メールアドレスを書いて、裁判所に送りました。

 

 

母は言っていました。

 

「もう子供じゃないから、だからこそ連絡してきづらいかもしれない」

 

と。

珍しく、まともな事を言っていました。

確かにそうだなって思いました。

 

 

私は、この時からメールアドレスを変える事が出来なくなってしまいました。

格安携帯に変えたいなーと思うのですが、そうするとアドレスが変わってしまいます。

 

あれから十数年。

私の携帯のアドレスの末尾は、今でも

 

○×※○○@○.vodafone.ne.jp

 

なのです。

何も知らない妹2号は、私のアドレスを

 

だっせーw変えろよww

 

と言ってきます。

 

良いだろ別に!レアだろ!

 

と返しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がアドレスを変えるとしたら、それは妹1号と再会した時なのです。

 

 

世の中お金が全てじゃないとか言うけどさー。そんなの嘘だろ綺麗事だろっ!!!

 

 

 

 

 

 

本日はなんだか落ち込み気味です。

 

 

 

 

兄と話したいと思っていたのですが、彼はとても忙しいのでなかなか時間が無く。

昨夜たまたま2人になる時間があり、少しだけ私の移住の事などで話す事が出来ました。

かなり色々言われ凹んでいます(笑)

 

こうして、ブログに色々書いてきて。

散々、父や母の悪い所など書いてきたわけですが。

結局は、今の自分のこの状況は全て私が悪い。

全て私の責任だと。

なんだか、今そう思っています。

というか、実際そうだし。

それが事実だし。

胸が苦しい。

皆が普通にやっている事がどうして私は出来ないんだろう。

どうしたら良いのか、どうするべきなのか、分からなくなってきたな。

私にいったい何が出来るのだろう。

不安でいっぱいになってしまった。

自分のダメさに泣けてくる。

なんだか暗い話になってしまって申し訳ないんですけども。

 

 

別に兄に責められたとかでは無いんですよ。

兄は兄で、心配して色々と言ってくれたのです。

そして兄の言っている事は、いつだって正しいし。

 

だけど、兄に色々言われたくらいで、こんなに落ち込んで1人でメソメソ泣いてるようじゃこの先やっていけないよな。とも思う。

なので、涙を拭いて今日もブログを書いていこうと思います。

 

 

そういえば、移住について色々調べていたら、想定していたよりお金がかかりそうなんですよね・・・。

一応ねニートなんですけど細々と稼いで微々たる額ですが、貯金はあったんですね。

あと、仮想通貨も持ってたり(笑)

今手放したら大損

でも、今年に入って色々あって結構貯金を使ってしまったんですよね。

なので、noteをやってみようかな・・・とか思ったり。

 

note.mu

 

どう思います??

 

引く?

 

ねぇー

 

引く???

 

どう思います?

まだ、いまいちシステムも理解できてないんですけどね。

ちょっとだけ考えています。

noteでブログ書こうか?とか。

でも、そうしたら今まで読んできてくれた人達を裏切る事になるのではないか?とか。

そこまで考えるのは自意識過剰か?とか。

頭が爆発しそうだYO☆

 

 

あなたの意見が聞きたい。

お願いします!!!

やってる人いますか?

 

どうしよう???

 

自分で考えろって?

うん。そうだよね。分かってる。

 

こうやってうじうじ考えてるからダメなんだよなー。

兄にも昨日言われました。

 

「出来るやつは動くんだよ!すぐ動くんだよ!考える前に動くんだよ!できねーやつは、無駄に考えて計画立ててってやってるから、結局出来ないんだよ」

 

って。

はい。仰る通りです。はい。

耳が痛いです。はい。

あたしゃ、あんたみたいにハートが強くないんだよ(T_T)

 

そう言ったかと思えば

「リスク回避も考えないと、乞食になってしまう」

とかLINEしてくるし。

考えるなって言ったり、考えろって言ったり(T_T)

 

 

あぁーーーー

気付けば、またダラダラと書いてしまった。

ごめんなさい。

なんか、吐き出す場所が無いんですよね。

ここしか無いんですよ。

さっきまで泣いてたんですよ。

でもブログに吐き出したら、少し落ち着いた(笑)

落ち着いている場合でも無い気がするけど・・・

 

 


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短いエピソードですけど、昔の話も書いておこう。

 

  

これは、妹2号が中学3年生の時だったと思うんですけど。

私の大好きな祖母からね、うちに電話がかかってきて母が話していたんですけど。

 

祖母が言うには、メガネから電話がかかってきたと。

久しぶりの登場でしょ?笑

 

それで、メガネが祖母に言ってきたそうです。

私も兄も高校に行ってないみたいだから、妹2号を引き取りたいと。

兄は高校中退なんですけども。

妹2号も中卒になってしまうのではないか?と心配だったようです。

母と連絡を取り合う口実のような気もしますけどね。

 

この時、離婚して恐らく12~3年とか経ってますからね?

凄いですよね。

未練なのか、執念なのか知らないですけど。

妹2号は父親の記憶すらないのに、

「引き取ります」

って言われても

「はい、そうですか」

なんてなる訳がない。

どういう思考回路してんだか。

 

祖母がなんと言ったのかは知らないのですが、それ以降は連絡は特に無かったようです。

 

がしかし、あと1~2回くらいはメガネさん登場予定です。

近日中に書く事になると思いますので、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだか今日のブログはしっちゃかめっちゃかだな。

 

 

人生には別れがある。私はあなたのあなた達の幸せを願っているから笑っていてください🌚

 

 

 

 

 

 

 

昨日は私の天使ちゃんが生まれた話を書きました。

 

 

 

 

そして、昨夜ウォーキングしていたら、一瞬凄く祖母の家の匂いがしました。

あぁー、ばあちゃんに会いたいな~なんて思いつつ、1人で涙目になっていました。

夜道で1人で涙目になってる女とかヤバすぎる(笑)

 

 

それで、こんなツイートをしたんです↓

 

 

f:id:Istart:20181216150955j:image

 

 

 

そしたら、こんなリプを頂きました↓

 

f:id:Istart:20181216121930j:image

 

ドスケンa.k.a.東海トムソーヤ (@dosukenblog) | Twitter

 

※完全に無許可で載せています・・・怒られるかな?ごめんw許せ。

 

 

このリプ見て思ったんです。

確かに、私の周りでもじいちゃんちって言ってる人いなかったかも~?って。

私の場合、祖父は私の母が10代の頃に亡くなっていたので会ったことすらないのですが・・・

おそらく、祖父が生きていたとしてもばあちゃんちと言っていたと思います(笑)

皆さんどうですか?

 

 

それでね、私の姪っ子の話に戻るのですが。

今は甥っ子もいるんですけどね。

姪っ子と甥っ子にとっては、私が今親と住んでいるこの家はばあちゃんちなわけですよ。

私の母は、2人にとっては祖母ですからね。

 

だけど、2人はばあちゃんちとは言いません。

 

姪っ子も甥っ子も、赤ちゃんの時からよく預かっていたんですね。

特に姪っ子は、毎週のように預かっていました。

その間に義姉であるモッチーは買い物に行ったり、美容院に行ったり、兄と出かけたりしていました。

 

私はいつでも、良いよ良いよ。

おいでおいで~。と言い預かっていました。

目に入れても痛くないレベルにカワイイ2人ですからね。

 

そんな事をずーーーーーっとしてきたんですね。

なのでね、2人はうちの事を小梅ちゃんちっていうんです(笑)

珍しいですよね?

 

 

2人をね、預かっている時にもちろん可愛がるだけじゃなかったんですね。

危ない事だったり、行儀の悪い事だったり、そういう事をした時は叱ったりもしました。

甥っ子がまだ幼稚園の年長さんだった時に、なんだか怒りすぎているかもしれないと思った私は

 

「いつも怒ってごめんね。」

 

と謝った事があります。

そしたら甥っ子はこう言いました。

 

「いいよ。小梅ちゃんは、俺の事が大事だから怒るんでしょう?」

 

泣いたーー(T_T)

ですよ(笑)

いつも怒る時に言っていたんです。

 

君たちが大事だから言っているんだよ。

どうでもいい子だったらほっとくよ。

 

と。

子供って賢いですね。

幼稚園児でもちゃんと分かってくれたんだなと思いました。

 

 

少し前に2人が小さい時の動画を見ていたんです(笑)

そしたら、まぁーーーーーー

かわいくてかわいくて。

それでね、姪っ子にLINEしたんです。

 

小さい時の動画見てたら、もっと優しくしとけば良かったって思ったよ(T_T)

あまりに可愛くて、結構怒ってたなーとか思い出したら・・・

後悔・・・。

 

って。

結構、本気でそう感じたから。

そしたら、姪っ子は

 

なんでやねんwww

過保護か!

 

 って返してきたんですね。

またまた泣いたー(T_T)

兄夫婦の育て方が良かったんでしょうね。

 

移住が実現したら2人とはなかなか会えなくなります。

これからも、いっぱいいっぱい抱きしめたかったけど。

ツライけれども仕方ない。

て言っても、もう甥っ子も来年は中学生(笑)

今でも会うと、小梅ちゃんおんぶして!とか抱っこして!とか言ってくるんですけど。

中学生になったら、さすがに嫌がられますよねきっと。

 

 

 

 

今日は本当は違う話を書くつもりでいたんですけど、前振りで書き始めたつもりだったこの話が長くなってしまったので明日書こうと思います。

 

 

 

そして、私のブログ毎日更新も残すところあと半月。

ここからは、かなり端折って大きい出来事だけ書いていこうと思っています。

そして記憶が曖昧なので、時系列がバラバラになるかもしれません。

あと15回では書ききれないかもしれないですが・・・

その時は、書けるときに書いていこうかなと思っています。

 

 

今日は、なんだか普通のブログになってしまってごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り半月よろしくお願いいたします。

※来年もブログは続けますよ?w

 

 

小梅 (@_I_Start) on Twitter

 

 

人の悪い所ではなく良い所を見つけられる。そしてそこをバンバン褒められる人間になりたい。

 

 

 

 

 

 

もうすぐ私は叔母になるよー\(^o^)/

 

 

 

 

もう、わくわくわくわく♪

楽しみで楽しみでたまりませんでした。

臨月に入ったモッチーのお腹をさすさすしていたら、私の手の平のど真ん中をお腹の赤ちゃんがキック?パンチ?しました。

 

 

きゃぁぁぁ♡

 

 

もうカワイイ。

すでにカワイイ。

全部カワイイ。

 

あぁぁぁぁ♡

 

 

 

いよいよ、その日が来ました。

 

 

ちょうど今くらいの寒い時期でした。

夕方。

私は、メメちゃんと電話で話していました。

 

母の携帯が鳴り、モッチーからのようでした。

買い物をしていたら、破水した!!と。

スーパーのトイレから電話をしてきたようでした。

 

兄は仕事でいないし、モッチーの実家は遠方。

慌てて、母がモッチーを迎えに行き病院に連れていきました。

 

 

その後、兄が病院に到着したので母は帰宅。

夜中に兄から電話があり、女の子が生まれたと。

性別を教えてくれない病院だったので、その時に初めて性別を知りました。

 

 

 

わぁ~♡

女の子か~♡

目だけは、お兄に似ていませんように☆

 

 

そんな事を思いつつ、寝ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして翌日。

病院に行きました。

面会ゾーンで待っていると、モッチーに連れられて赤ちゃんがやって来ました。

 

↓こういうのに乗せられて

 

f:id:Istart:20181215175445j:plain

 

 

食い気味で、中を覗き込みました。

 

 

 

 

うわぁぁぁ~♡

 

 

 

 

モッチーだぁ~♡

 

 

 

そこには、ミニチュア版のモッチーがいました。

瓜二つ過ぎて笑いました(笑)

 

 

ちっちゃくて、柔らかくて。

はぁぁぁぁぁ♡

かわいい。

かわいい。

かわいい。

 

 

家族全員とりこです(笑)

 

 

 

この時に生まれた子が、この子ですね↓笑

 

istart.hatenablog.com

 

 

早いもので、彼女は現在受験生でございます。

私の中では、永遠の天使ちゃん。

永遠のアイドル。

そして私の宝物。

 

 

こんなに愛おしい存在を産んでくれたモッチーには、本当に感謝の気持ちでいっぱい。

 

 

私は子供の頃から、あまり褒められた事が無いんですね。

なので、褒められたりするとどう返して良いのか分からなかったりするんです。

そして自己肯定感がとても低いです。

子供はやっぱり褒めた方が絶対良いと思っている私は、姪っ子の事は褒めまくってきました。

今でも、会う度にハグして

 

 

かわいい♡

 

かわいい♡

 

かわいい♡

 

世界で一番かわいい♡

 

 

と言います。

私にとっては、本当に世界で一番かわいいですからね(笑)

 

 

 

 

こうやって褒めて、かわいい。かわいい。

と連呼していると、子供というのはこうなります↓

 

 

 

 

 

f:id:Istart:20181215182209j:image

 

 

ね???

褒めて育てたほうが良いでしょう???

ん???

 

 

これとかね↓↓ 

 

 

f:id:Istart:20181215182552j:image

 

f:id:Istart:20181215182843j:image

 

 

 

ね???

・・・良いよね???

これで良かったよね???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良いよね?

 

 

 

先の事ばかり考えると怖くなる。だけど目先の事しか考えていないのは愚かな事。って覚えておけよ私!!!

 

 

 

 

 

 

兄とモッチーが結婚します。

 

 

 

 

 

両家の顔合わせという事で、皆でレストランに行きました。

モッチーの実家は遠方で、彼女の家も色々と複雑だったりの諸事情があり、モッチー側のご家族はお母様だけがいらっしゃいました。

 

それで、レストランの中で初めてモッチーのお母様にお会いしたのですが、普通なら父が家族全員紹介とかしますよね?

 

 

そういうの一切無し!!

 

 

父は外面が良いので、ただヘラヘラするばかり。

こいつ家長の自覚ねぇーな。

と、ほとほと呆れ果てました。

結局モッチーのお母様には、ろくに挨拶もしない感じで終わりました。

すんごい失礼ですよね?!

レストランを出た後、兄にコソコソひそひそ話しました。

 

「ねぇ!!モッチーのお母さんに挨拶ちゃんとしてないんだけど?!普通ああいう時って父親が全員紹介するんじゃないの???」

 

「なっ!!俺も、いつ紹介と挨拶するんだろ?って思ってたんだよ!」

 

2人でぶつくさ父の悪口を言い、その日は解散しました(笑)

そして、その後兄とモッチーは無事入籍。

モッチーは兄と付き合っている時から、私達家族にも凄く良くしてくれていました。

こんな問題だらけの家に、よく嫁いできてくれたなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

モッチーは、結婚した当初車の免許を持っていませんでした。

ですが、子供も生まれるという事で免許を取りに行く事にしました。

結婚後すぐか産後かの、どちらだったか忘れてしまったのですが・・・

 

その時に、兄夫婦が費用は貸すから小梅も一緒に免許取りに行ったら?と声をかけてくれました。

しかし、母が言いました。

 

お金借りるなんてダメ。

 

母が言っている事は正しいのかもしれません。

しかし、ほぼ引きこもりのような娘にそんなチャンスがあったら、普通行かせませんか?

その一言で、私が免許を取りに行くという話は流れました。

今でも持っていません。

 

そして、数年前くらいから両親は私に免許取りに行けと言うようになりました。

なので、妹2号も免許を持っていないし、じゃあ2人で行こうか・・・なんて話をすると、妹2号は危ないから取らなくて良い。と。

 

 

!!!

 

 

 

両親は自分たちが年老いて車を運転できなくなった時に、私を運転手にしたいようです。

ハッキリとは言いませんが、そんな感じがヒシヒシと伝わってきます。

 

少し前に、モッチーが免許取りに行った時に私も行けてれば・・・という話を母としていた時、母が放った一言

 

「ねぇ~。行けば良かったのに!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふぁっ(゜o゜)?!

 

 

 

 

 

 もう一回言おう。

 

 

 

 

 

ふぁっ(゜o゜)?!

 

 

 

 

 

自分の耳を疑いましたよ。

そして、母がダメと言った事を言うと

 

「なんでお母さん反対したんだろ?」

 

ですってーーーーーwwwwwww

その後、理由を説明すると

 

「あぁ~、あの頃はお金無かったからね~」

 

とかぶつくさ言ってたけどさ。

でもさ、妹2号が専門学校に進学する時に、母は学費を兄に借りていましたからね。

妹の為にはお金借りるのね。

へぇーへぇーへぇー。

3へぇーです。

 

トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜 - Wikipedia

 

 

 

なので、私は

 

 

「お母さんの選択はいっっつも間違っているね(^^)全て間違っているね(^^)」

 

 

と、ズバッとハッキリ、きっぱり言ってやりました☆

母は「なんでや!www」と笑っていました。

 

メンタル岩かよ。

こっちはガチで言ってんだよ。

笑ってねーで反省しさらせ。

 

 

しかもしかも、私が20代前半くらいの時だったと思うのですが、父が車を買う事になった時、ローンが通らないかもしれないとう話になったそうです。

だけど、職人で道具もあるので車は絶対必要。

その時、母が言ったそうです。

 

 

「小梅の名義でローン組もう」

 

 

 

 

 

 

 

何言ってんの(・_・)?

 

 

 

 

 

もう一回言うね。

 

 

 

 

 

何言ってんの(・_・)?

 

 

 

結局、その時は兄が

小梅はまだ若いし、これから社会に出ていかなきゃいけないのに、そんな借金させるなんてダメだ!と言い阻止してくれたようでした。※モッチー談

しかも結局、父の車は兄が買ってくれました。

 

 

いったいどっちが親なんだか・・・

そして、母はいったい私の事をなんだと思っているんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

くそがっ!!!!!

 

 

 

小梅 (@_I_Start) on Twitter

 

 

     

 

 

規則正しい生活は体に良い。良いんだろうけどサボりたい日だってあるんだよね。

 

 

 

 

 

 

兄の仕事の手伝いを辞めた頃。

 

 

 

この時、私はいったい何歳だったのか・・・

19~20歳くらいだったと思います。

当時、私と共にほぼ引きこもりのような状態だった母。

 

母は、たまにパチンコに行ったりはしていましたが。

 

母は、妹2号の繋がりでママ友をゲットしていました。

そして、そのママ友のコネでファミレスのパートをする事になりました。

職場の人達とも仲良くやっているようでしたし、正直私はとても羨ましかったです。

 

その頃から、家の中の事は私がやる事が増えました。

私はいわば親のすねをかじっている状態なので、それをやるのは当然だと思っていました。

 

妹の世話もしていました。

私と兄は、子供の頃から母に歯磨きとかしてもらった記憶がありません。

なんなら、私は

 

 

歯の裏側を磨くという事を小学5年生まで知りませんでした

 

 

これ結構、衝撃じゃないですか?笑

しかも、5年生の時に知ったのは母に教えてもらったわけではなく、歯医者さんで歯科衛生士の方に言われて知りました。

歯科衛生士さんに凄く怒られました。

 

子供の歯の状態でネグレクトが分かるのです。

 

なので、私も兄も虫歯は多かったし虫歯になりやすいです。

今は2ヶ月に1度、定期検診に通っています。

そろそろ行かないと・・・

 

他の所はもうどうでも良いですけど、そこだけは本当に恨んでいます。

母を責めた事もあります。

ですが、母は言います。

 

「お母さんだって、そうやって育ったんだもん」

 

なんで素直にごめんの一言が言えないの?

じゃあ、そんな母に育てられた私は、もしも子供を産んだとしたら同じようにするって事なの?

 

 

 

 

 

妹2号が子供の頃

私が妹に向かって

「歯を磨きなさい!」

と言っても、眠気が勝ってごねたりすると

母は「ほっとけほっとけ」

と言うタイプの人でした。

 

 

妹2号の歯は絶対に守る!!

そう思っていた私は、歯磨きをせずに妹が寝ていたら叩き起こしていたし、毎日欠かす事なく仕上げ磨きをしていました。

本か何かで、子供が小学生の間は仕上げ磨きを親がしたほうが良いというのを見た私は、妹が小学校を卒業するまで続けました。

中学生になったら自己責任だから、これからは自分で磨きなさいと言い中学入学と同時にやめました。

なので、今でも妹2号が歯が痛いと言っているのは聞いた事ありません。

 

 

今ふと思ったのですが、お母さんがやるよの一言があっても良くね?

1回も聞いた事ねぇーーー!

 

 

 

 そして、妹の世話だけじゃなくですね。

一番厄介なの世話もしなければいけません。

父は、自分では何もしない人です。

父は、3食絶対にきっちりと食べます。

仕事が休みの日は、朝父がテレビをつけた音が聞こえてくるとご飯を出します。

6時とか7時とかです。

そして、お昼12時きっかりにご飯を出します。

夕方18時に夕飯を出します。

 

 

休みが続くと、本当に地獄。

 

 

私は、飯炊きババァになるしかないのです。

そんな私なんですけどね、多分この頃だったと思います。

当時、趣味である物を作るのが好きだったんですね。

それで、その時にネットオークションに出会いました。

私は、趣味で作ったソレをオークションに出品してみました。

 

そしたら、出品する度に全て売れていきました。

自分でお金を稼げた事が嬉しかったし、リピーターさんがついたりして凄くありがたかったし楽しさもありました。

 

それは、今も続けています。

その後、ネットオークションはやめて今はフリマアプリ等で販売しています。

 

 

何を販売しているのかは家族も知っているので、公表はしません。

ブログがばれてしまうと、現段階では本当にマズイので。

 なので、ぶっこんだ質問は受け付けませんよーー?🍊

 

 

 

 

そんな中、ある日兄がうちに来たんですね。

それで、いつもは玄関でじゃーねーって感じなんですが、その時は何か用があったのか?

忘れたんですけど、私は駐車場まで行き兄を見送ったんですね。

それで、じゃーねーってなった時に、兄が私に何かを言いかけてやめたんです。

そういうのって気持ち悪いじゃないですか?

だから「なに?」って聞いたんですけど

 

「いや、やっぱ何でもない(笑)」

 

って言われたのでね

 

「なによ?モッチー妊娠でもした?笑」

 

「ちげーよ(笑)」

 

「あっそ!(笑)じゃーねー」

 

「じゃーねー」

 

 

てな会話を繰り広げたんですね。

 

 

その数日後にね、兄とモッチーから子供が出来たと。

結婚すると。

報告されました。

 

数日前の会話の時、兄は私に話すか迷っていたようで、たまたま私があんな事を言ったので

 

「お前、なんで分かったんだよ?!」

 

と言っていました(笑)

本当に、たまたま言っただけなんですけども。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

て事でお兄ちゃんが結婚するよーーー!

赤ちゃんが生まれるよーーーーーー!